第一部 生涯と事蹟
第二章 音楽学校時代
二 柴田環の入学動機
明治三十三年(一九○○)三月、虎の門の東京女学館高等普通科を卒業した柴田環は、同年九月、東京音楽学校予科に入学した。
その入学の動機は東京女学館の教師、杉浦チカの勧めによるものであった。このことについて記された最初の出典は「婦人畫報」(明治四十四年一月十日の臨時増刊号)が当時の閨秀音楽家、幸田延、安藤幸、神戸絢、柴田環らをとりあげた折のものであろう。
当時の子女の慣わしでもあった邦楽(長唄や等曲)を稽古していた環は特に励むわけでもないのにいざお浚いの会となると見事にこなしてしまうといった才能をみせ、東京女学館在学中に「先生方から西洋音楽をやらせたらというお勧めがございました」とこの記事の中で環の母登波は語っている。
環の自伝にはこの経緯がやや具体的にしめされている。(※5)