第一部 八荘源

第一章 とんぼ

山荘は八月当時のままだった。生い茂った庭の笹を鎌で刈る作業に半日も費やして、聡はくたびれ果ててしまった。

夕方、食事の前に山を見に行こうかと、聡はハイツの脇を抜け、谷の向こうに八荘山を望む高台に上っていった。

四時を過ぎ、あたりは日暮れかけて寒かった。聡は一人、ふるさとの山々を眺めたかったのである。

落ち葉の立てる微かな音に耳を澄ませながら登っていくと、突然視界が開けるところがある。七曲山、浅香山、八荘山がそこから一望できる。聡は黙々と登っていった。そして、展望の開けるところまで来たとき、はっとしたのである。

女の子?

それはうら若い十七、八の女性に見えた。紺色のジーパンにカーディガンを無造作に羽織り、崖の上から谷の方を一心不乱に眺めているのである。聡は年甲斐もなく一瞬ぞくっとした。それから少し思案した。

「寒いですね」陳腐な挨拶だったが、聡は声を掛けてみた。女は反応しなかった。

「寒いですね」もう一度声を掛けてから、聡は付け足した。「ここら辺は女の人の一人歩きは危ないよ」