第一部 生涯と事蹟
第一章 生いたち
三 出生地
補説 二 母 永田登波の生家
家庭事情のゆえに生涯母の桎梏から解き放されることのなかった環であったが、今回、環の母登波についてその生家訪問記をまとめてみた。
筆者は昭和四十六年初夏のころ登波の生家をたずねたことがある。東海道線菊川駅を降り立ち、牛淵川の支流に沿った農道を登っていくと数軒の小沢の集落が見えてくる。一面に茶畑のひろがる牧之原台地の西麓、山ふところに抱かれた日当たりのよい場所に登波の生家が建っていた。大きな構えの農家で母屋の右手に茶工場が鉤の手に建っている。
「静かなところですね」
屋敷に続く茶畑で茶摘みをしているおばあさんが茶籠を背中からおろしながら
「山の中でございましてね」
と日焼けした顔を綻ばせて私を迎えてくれた。
「一軒一軒にこのような茶工場を持っているのですか」
「上がってきた通りに大きな工場があったでしょうが。今ではみんなあそこに集めて製茶をします。昔は一軒一軒でお茶師をいれて手で揉んでいたものです」
昭和三十年代までは各茶農家で手採みする情景が見られたが、今では人手も減って機械がお茶を仕上げている。
「どうぞあちらへいらっしゃってください。涼しゅうございますから」
永田いとさんの言葉は丁寧で土地なまりがおだやかで快い。