第一部 八荘源
第一章 とんぼ
二
一九九八年の夏は暑かった。世間は不況にあえぎ、前年には山一證券が倒産する波乱の年だが、田舎では別の時間がゆったりと流れている。
よく晴れた八月も後半の雨上がりの朝。通称高原ハイツと呼ばれるリゾート前のバス停に、初老の男たちが降り立った。二人はゴルフバッグを片手に、南八荘源別荘村の方に歩き出した。
「毎年お世話になるが、お婿さんとは初めてだなあ」
丸顔の藤田が言うと、津山聡は眼鏡の中の細い目をさらに細めた。
「今ごろは、芋掘りでもしてるだろうよ」
聡は一人身である。十年前に妻を亡くした。五年前に銀行を退職して、悠悠自適の生活を始めた。
唯一の心配が、いつまでたっても結婚しようとしない娘のことだった。ところが、二年前に娘は急に結婚相手を連れてきて親に承諾を求めた。
相手の男は、雑誌などに雑文を書いて暮らす男だった。堅気の商売とは思えない。
だが、一目見て聡は結婚に同意する気になった。何よりも娘がかわいかったし、榊原良夫というその男は、感じよく頼もしそうに見えた。
「おや、そのゴミ箱の手前を曲がるんじゃなかったっけ」
藤田に言われて、聡は慌てて右に曲がった。一分も歩くと緩やかに傾斜した土地が見え、その裏に聡の所有する別荘がある。
聡と藤田は、地元の高校で弓道部の同窓だった。運動部で青春を共有したものの結束は固い。
東京に出てお互いに別々の会社に就職した後も、何かにつけて飲み歩いた仲だ。夏になると、聡の別荘に二人を含めた何人かがやってきて、昼はゴルフ場に繰り出し、夜は高校時代に返って派手に騒いだ。