私は体中から涙がふきだしてしまったのです。この豊かな人間性は、イタリアの大地に育まれたものでしょうか。大根駅のピザハウスにも、東京の会社にも帰らず、私は一生ここで過ごそうか……。私もいつか、こういうことを言えるような人間になれるのでしょうか?

思えば交渉事なんか自分の欲にすぎないことだ。と、反省しきりの私にアルフレードス先生は

「吉川さん、私に訊いておくことはもうありませんか?」

「先生、質問があります。この質問は二回めになりますが、ピザソース作りのヒ・ミ・ツ、先生特許の黒い粘土状の香辛料、あれは何ですか? 私は気になって仕方ありません」

「よし、それではヒントを教えようネ。それはネ、吉川さん紀州サ。紀州があるから添加物がいらないのサ。」

やっぱり! 私はすぐ分かりました。やっぱり青梅エキスだ! やっぱり! 感慨深い何かが私の脳裏をかすめます。そうです!

その昔、召集令状によって戦地に向かう父のご無事を祈りつつ夜なべの囲炉裏(いろり)で母と二人、コックリコックリしながら青梅を真っ黒になるまで煮詰めました。そして母はその青梅エキスを水筒のようなものに入れ、千人針に包んで戦地に向かう父に「どうかご無事で……」と遠い昔のひとこまがよみがえります。私七歳の春でした。

このイタリアの旅は私にとって世界何周分にも勝る価値ある旅でした。