第一部 八荘源
第一章 とんぼ
一
南風、山腹に渦巻き風声死す。山の音三度木魂す。夜に入りて月出でて林影新たなり。或ひは伸び、或ひは縮まりて、また俄かに山音近し……。
八荘源ってどんなところだったの。
ずっと後年になって、香奈は茜に聞かれたものだった。そんな時、香奈は記憶の中を彷徨っているような遠い目で茜をじっと覗き込んだ。そしてゆっくりと思い出そうとするのだった。
「音が……あったかなあ」
茜が吃驚していると香奈は再び黙ってしまうのだった。
そこは、漢文調で記した方が、似合う土地かもしれなかった。
香奈も茜も好きな国木田独歩の『武蔵野』に似せた表現をとれば、あるいは冒頭のようになるかもしれない。
八荘山の麓に広がる八荘源は香奈たちの住んでいる秩父の山麓から、直線距離にして百kmもない高原だった。だが、今の彼女らの心には、実際よりも遥かに遠い、山をいくつも越えねばならぬ土地なのだ。
茜がいぶかっていると、だが、香奈は意外な言葉をつぶやいた。
「蜻蛉かなあ」
とんぼというのは、アキアカネのことだ。八月も中旬を過ぎると、高原の夏は終わる。白樺林の下に、萩やススキが雑然と生い茂り、空を見あげると、キャンバスに乱暴にひいたような白い筋雲の下に、小さな影が一面に浮かんで、風のまにまに漂いだす。
よく見るとそれがアキアカネである。ふと、別荘地の柵に目を移すと、先端の一つ一つに丁度一匹ずつ、透き通るような羽をもち、目ばかり大きく賢そうなとんぼがとまっている。
香奈の言葉の中に、華水教という、彼女の一生を翻弄した新興宗教の名前が出てこないのは不思議なことだった。だが、茜は香奈の目の中に吸われていくような錯覚に陥って、空を一面に漂っているとんぼを空想し、納得してしまうのだった。
もしかしたら、遠い日のとんぼの記憶に比べれば、華水教などという宗教自体、存在しないぐらいはかないものだったのかもしれない。