五階付近に近づくと、鳶がタンクに乗ってフックを引っ掛けます。私はレバーを操作し、ワイヤーを手前に引き寄せます。ウインチがきしみ、柱に縛り付けた補助ウインチのワイヤーもググッと張ってきます。

私の体も操作台と一緒にダダッと小刻みに震え、緊張と恐怖で体が硬くなりながらも、祈るような気持ちでレバーを引きます。メインウインチとタイミングを合わせながら障害物をかわし、ストレージタンクを屋上にしっかりと設置することができました。

上のほうで鳶のボーシンの笛が鳴り響きます。設置完了の合図です。拍手の中を花吹雪が舞います。私のヘルメットの中は緊張で汗びっしょりでした。後でボーシンから、「よくやった、ご苦労さん」とお褒めの言葉をいただきました。

自分がやれると思ったことは、物おじせず積極的に進んでやる。それが次の自信につながっていくことをこの時学びました。

発電所の各階にはグレーチングという排水溝などに使われているような鉄格子が敷き詰められていて、下の階まで見えるようになっています。ある日、私は二階でアセチレンボンベと酸素瓶を設置して作業をしていました。

三階で他の者がガスバーナーを使って作業をしていました。その火の粉が二階に設置していたアセチレンボンベに引火したのです。アセチレンボンベからガスが漏れていたのでしょう。ガスメーターから火を噴き出しました。近くで作業している人たちは「危ない!」と言って逃げていきました。

私が設置したボンベです。とっさに消火器を持ってアセチレボンベに近づき、火を消そうとしましたが、噴出する火の勢いが止まりません。片手で消火ホースを吹き付けながら、片手でガスハンドルを持ってバルブを閉めると、やっと火が止まりました。

その間、ボンベが爆発したら死ぬかもしれないと一瞬、頭をよぎりましたが、自分が設置したガスボンベですから、責任を感じ、死を覚悟しながらバルブを閉めました。

火が消えた時には、足はガクガク心臓はバクバクで、その場にへたり込んでしまいました。私が逃げていたらボンベは爆発していただろうと思うと、恐ろしくなりました。同僚たちが私の周りに寄ってきて、「もう少し遅かったら、お前の命がなかったぞ!」などと口々に言いました。

「自分は逃げたくせに」と内心思いましたが、脱力感で腰が抜けていました。その時に右手を火傷しましたが、このように工事現場は危険がいっぱいでした。

寮から新小倉発電所までの埋め立て地には、あちこちにダンプから降ろしたままの土砂の山がありました。スキー競技でモーグルという雪のコブを滑る競技がありますが、あのようなコブのある埋め立て地を通り抜けながら発電所まで通っていました。

途中に仕事帰りの労働者を待ち受ける赤ちょうちんの掘っ建て小屋がありました。先輩と一緒にその赤ちょうちんに寄り、「角打ち」をするのです。「角打ち」とは酒屋の店頭で升酒を立ち飲みすることです。もちろんコップ酒でもいいのです。

つまみは、するめ、干物、豆類などで十分でした。話し好きの店のおばさん、同僚や、隣り合う見知らぬ客との談笑も楽しみで、一日の疲れを癒やしてくれました。

一杯ひっかけて外に出ると、夕暮れのあかね空の下、自転車に先輩を乗せ、ふらふらしながらコブの山を抜けて帰っていった当時を懐かしく思い出します。

角打ちは、北九州が発祥の地と言われていますが、北九州空港に角打ちコーナーがあるのは驚きでした。今度ゆっくり楽しもうと思います。ちびりちびりと。