第一章 ほうりでわたる

鍋底景気の就職​

アメリカの指導員とも親しくなり、その指導員から、タービンと発電機の図面をいただきました。その図面がものすごく大きいのです。縦七、八十センチ、横三メートルほどです。あまりに立派な図面だったので、自分だけが持っているのはもったいないと思い、担任だった生田先生に学校の教材として利用してもらうことにしました。

在学中は「機械設計」、「原動機」でタービンの構造を学んだことがありましたので、先生に贈呈すると大変喜んでくださいました。就職先を紹介してくださった先生のお役に少しでも立てて嬉しく思いました。

苅田発電所の工事が終了し、大牟田新港の発電所建設で働くことになりました。民家を借り上げた寮の八畳の部屋で四人が寝泊まりしていました。三池炭鉱の近くで、当時、炭鉱紛争が激しく、組合のデモや警官隊との衝突が絶えませんでした。

労働組合も第一組合、第二組合と二つに分裂し、路上で組合のデモ隊同士が衝突したり、機動隊と衝突したりして、異様な雰囲気になっていました。海岸では石を投げ合ったりホースで水を掛け合ったりと、同じ日本人同士とは思えない争いが続いていました。

我々の通勤時間中にも双方の組合員が衝突して怒号が飛び交っていました。そこに機動隊が止めに入ります。道幅いっぱいに広がって争っているので通行ができません。

第三者である我々には理解できない争いごとに、「テメエラ何をやっているんだ!」と罵声を浴びせるわけにも、まして石を投げるわけにもいかず、ただ黙って横を通り過ぎるだけでした。

夜は戒厳令が敷かれたように、警察官があちこちに立ち、街は人通りがなく、ひっそりとしていました。