マキシマ社再建に欠かせないのは、コストダウンをやりながら、同時に売上を伸ばして行くことだ。そのためには販売前線を活気づけなければならない。

高倉は各地区の前線部隊長とでもいうべき営業ジェネラル・マネージャー(GM)に思い切って若手を登用しようと動いた。

国土面積一二二万平方キロメートル、日本の三・二倍の南アフリカを四つの地区に分割し、地区担当GMたる四人を選抜する。

そのために、アンドルー・レクレアと二人で候補者選びを行なった。
そして高倉自身が候補者一人一人に面接して決定した。

いずれも四十代前半のやる気は勿論だが、販売力、管理能力、仕事に向かう姿勢を基準に選び抜いたバリバリの若手である。

『ヤング・ライオンズ軍団』の誕生だ。

南アフリカはオーストラリアやニュージーランドなどと共に、旧英国領のコモンウエルスのメンバー国でラグビーが盛んだ。ライオンズというのは、当地で人気があるラグビーチームの名前からとったもの。

実力主義で選んだ結果として全員白人となった。意図した訳ではないが、残念ながらこれが現実だ。ダイバーシフィケーション(多様化)には程遠い。

従来のマキシマ社の価格中心の売り方から、コンサルティング・サービス中心の売り方に変えさせなければならない。

そのために、日本のタイヤメーカーであるニホンタイヤに技術者の派遣をお願いした。もちろん給料、ボーナスを含む諸費用はマキシマ社負担である。

これにニホンタイヤが応えて、東京から斉藤和夫が技術ダイレクターとして着任した。
これで技術の芯が出来た。

斉藤は高倉より四歳下の五十五歳で、そう若くはない。が、ニホンタイヤで西アフリカに技術サービスとして駐在した経験があるベテランだし、ブラック・アフリカをよく知っている。

これから黒人を中心とした社員のレベルアップやコンサルティング・サービスを軸とした商品メニューを顧客にPRして行くには最適の人材だ。