第二章 釣りもアレも人間は新奇好き

かか様が叱ると娘初手は言い……江戸の川柳にみる猥学、艶学

森秀人の『釣りの科学』によれば、石器時代の昔は、関西や四国、九州よりも関東、東北の方が釣り文化が発達していた。

このことは発掘された釣針の遺跡(いせき)分布からも証明されている。また、日本で最初の本格的な釣りの本を刊行したのも陸奥(むつ)の国・黒石藩主・津軽采女正(つがるうねめのしょう)が書いた『釣魚秘伝(ちょうぎょひでん)・河羨録(かせんろく)』である。

周囲を海に囲まれ、水の豊かな我が国では、釣りは古代から人が生きてゆくため、家族を養うための男の貴(たっと)い仕事であった。

江戸時代の東北を舞台にした藤沢周平の小説に、武士が釣りをする場面が度々出て来る。

ところがである、近年尻軽女をナンパすることを「陸釣(おかづ)り」等と称して「神聖にして尊厳(そんげん)」なる「釣り」という言葉を愚弄(ぐろう)しておる。まことにもってケシカラン。釣りをこよなく愛する吾輩にとって、実に嘆かわしき次第である。

ま、そうは言うものの、この世は男と女、多少のことは我慢せずばなるまい。

そんな訳で、今回は川柳に託した江戸の先達(せんだち)の思いを、人の成長に沿ってたどってみることにする。

ここに紹介する川柳や小話は概(おおむ)ね(駒田信二著『艶笑人名事典』『艶笑動物事典』『艶笑植物事典』、西沢爽著『雑学猥学』『雑学艶学』『雑学女学』三部作)より引用させて頂いた。

これらの川柳から、江戸庶民の伸び伸びとしてのどかな夫婦生活が偲(しの)ばれて、実に楽しい。江戸時代の社会を「士農工商」という階級社会の矛盾と「切り捨て御免」の封建的抑圧政治であると喧伝(けんでん)した、一方的な戦後教育にいささかの疑問を呈するものである。