第2章 なんとか一つの山を乗り越えた

その8 自宅療養
─何もできない、何もしてはいけないという苦痛─

2016年1月23日に退院して、自宅療養に入りました。

もともと1月末に退院の予定でしたが、血液検査の数値や病状(GVHDなどの反応が出るかどうか)が安定していたので、予定より早く退院することができました。

左の手首に巻かれたネームバンドを切ったとき、「やっと、退院できた!」と実感が湧いてきました。

退院後は自宅で療養しましたが、造血幹細胞の移植後のGVHD反応を抑えるため「免疫抑制剤」を投与している関係で、人の多いところへは出かけられないですし、毎日3回の薬の投与や体力回復のリハビリなど、入院中とあまり変わらずに続けていきました。

それでも、自宅で過ごすというのは「安心感」や「自由度」が全然違っていて、とても嬉しく楽しかったです。

この後も、感染症などにならないように気をつけながら、体力を整えて早く職場に出られるように頑張っていこうという気持ちになりました。

節分の日には、近所の法輪寺(通称だるま寺)で「ダルマ市」をやっていたので、お参りしてきました。ダルマは「七転び八起き」と言われるように、「何回転んでも起き上がる」という言葉にあやかって、私もこれからなるべく早く復活しようと自分自身に誓いました。買ってきたのは交通安全祈願のダルマでしたが。

自宅療養を始めたころは、人混みが厳禁だったので自宅から出ずに過ごしていましたが、1ヵ月経過したころには、

「多くの人がいないところでは、マスクをしていれば大丈夫」

と言われていたので、買い物やトレーニングで外に出るなどしていました。それでも、感染予防のための歯磨き・手洗い・乳酸菌飲料と投薬は、入院中からずっと継続していました。2月14日には体力トレーニングのために、ロードバイク(自転車)を買ってもらいました。

というのは、ランニングは筋肉量が少ないのでまだできないし、ウォーキングでは長く歩くと膝が痛くなってきます。膝に負担が少なく、かつ適度に運動になるロードバイクを選びました。入院中にエアロバイクを漕いでいたので、退院したら実際のロードバイクに乗りたくなっていたという理由もあります。

最初のころは、約1時間半で約25キロメートルのサイクリングをしていました。コースは、自宅から嵐山に行って、嵐山の渡月橋から桂川沿いのサイクリングロードを南下して南区の久世橋まで行き、帰りは葛野大路を通って帰りました。消費カロリーは300カロリー前後ですが、結構疲れるので2日に一度くらいの頻度で出かけました。

サイクリングを終えて夕方に家に戻ってからは、夕食の準備をしました。私の家では、妻と私で早く家に帰るほうが夕食をつくるというルールだったので、必然的に私が夕食の担当になります。

夕食のメニューは、和食からイタリアン、中華料理などいろいろありますが、私が一番得意にしているのはビーフシチューでした。

3月3日は、久しぶりにビーフシチューをつくりました。タマネギやトマトを炒めて赤ワインで5時間煮込んでつくり、丹波の赤ワインと一緒に食べました。自分で言うのも何ですが、結構上手にできておいしかったです。