六
モザンビークの不良債権問題を片づけるやいなや、高倉は次の課題に取り組んだ。
赤字を出している訳ではないが、南アフリカ周辺国ビジネスの中で、どうしようもない問題児のような国があった。それはジンバブエである。
このビジネスを続けるかどうか、緊急に白黒をつけなければならない。
ジンバブエはモザンビークの西、南アフリカの北北東に隣接しており、元は英国人支配のローデシアという国であった。
一九八〇年にロバート・ムガベ大統領のもとに黒人政権のジンバブエ国として独立したが、その経済状況は惨憺たるものである。
担当マネージャーのシェーンの報告によると、二〇〇四年上期時点のインフレ率は六〇〇〜七〇〇%、金利二一六%、そしてジンバブエ・ドルは二〇〇二年から二〇〇四年で米ドルに対して六六六%下落している。信じられない、うそのような数字である。
しかも現地で稼いだジンバブエ・ドルを米ドルや南アフリカ・ランドの、いわゆるハード・カレンシーに交換するのは競りで勝ち取らなければならない。それほど国に外貨が不足している訳である。
マキシマ社はジンバブエにマキシマ・ジンバブエという現地支社を持って、七つの販売店と二か所のタイヤ・リトレッド工場を展開している。
高倉はシェーンに聞いた。
「こんな状態のマーケットでビジネスをやる意味があるのか?」
シェーンは、
「ジンバブエは南アフリカとサブ・サハラ(サハラ砂漠以南の国々)とを結ぶハブになります。つまりトラック用タイヤの有望なマーケットです。ムガベ大統領による経済政策が進められていますので、この効果が出てくれば状況は好転します」
と、相変わらず危機感のない、のんきな答えだ。
ジンバブエの現状と今後の展望を確認する手だてはないものか、高倉は考えを巡らせた。
そんな折に彼の次男勇作が義娘祥子を伴い、アメリカから南アフリカを訪れた。
彼は妻の洋子と共にヨハネスブルグ国際空港で迎えた。早朝だが到着ロビーは相変わらず出迎えの人々でごった返していた。
高倉は着任時にこの空港に降り立ったとき、暗いロビーだと感じたが、相変わらずだ。
おまけに悪い奴がウロウロしているので一瞬の油断も出来ない。特に到着客に「タクシーのご用はありませんか?」と聞いてくる奴にうっかり乗ったらとんでもないことになる可能性があると聞いている。
大きな荷物をトロリーに乗せた到着客が続々と出てくる。その中に勇作と祥子を見つけて手を振った。
「お疲れさん、こんなところまではるばるとよく来たな」
とねぎらいの言葉をかけると、
「父さん母さん、わざわざ迎えに来てくれてありがとう。友達を紹介するよ」
と言って、勇作はそばにいた一人の黒人男子を紹介した。
Hとマークのある野球帽を被っている。黒人ではあるが、真っ黒ではなくダークブラウンという感じで、理知的な顔立ちをしている。