源満仲の名を有名にしたのは969年(安和2年)に勃発した「安和(あんな)の変」である。彼もまた、変の勃発につながる密告を行ったとされている。
当時、藤原北家にとって最大の政敵は源高明(たかあきら)であった。高明は醍醐天皇の第10皇子で賜姓源氏として順調に出世を果たし、967年(康保4年)の冷泉天皇即位時には左大臣となっていた。
関白には藤原実頼(さねより)、右大臣には藤原師尹(もろただ)が就任していたが源氏の影響力が強かったのは確かで、藤原北家がこれを排除しようとして起きたのが「安和の変」だ。
冷泉天皇は病弱だったので皇太子の選定は早々に始まり、天皇の同母弟の守平(もりひら)親王(後の円融天皇)が立てられた。しかし守平親王はまだ9歳だったので、他の皇子にもまだ立太子の可能性が残されていた。
そんな中、守平親王を排除して、守平親王の同母兄で高明の娘を妻としていた為平(ためひら)親王を擁立する謀叛計画があることが満仲の密告によって露呈する。そして、この計画に関わっていたとして、源高明は失脚、大宰府に左遷された。
ちなみにこの源高明は、2024年のNHK大河ドラマ『光る君へ』のヒロイン紫式部が書いた『源氏物語』の主人公である光源氏のモデルの有力候補の一人とされている人物だ。天皇の皇子にして一世源氏。生まれだけではなく溢れる才能とそれが故のとんとん拍子の出世。光源氏の須磨・明石への都落ちを連想させる太宰府への配流等がその理由だ。