3 吉野川の流れ──「いのち」は常に変化する

10月22日―23日 (四国三郎の郷)

四国三郎の郷キャンプ場に到着した翌朝、テントの外に出ると空気はひんやりとしていた。吉野川の流れは絶え間なく続き、朝陽を受けてきらきらと光っている。川の音を聞きながら椅子に腰掛けていると、不思議なほど心が落ち着いた。

胡蝶夢号とくつろぐ著者 四国三郎の郷

ふと、鴨長明の『方丈記』(4)の言葉が心に浮かぶ。

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず

目の前の川面を流れる水は、常に入れ替わっている。にもかかわらず、私たちはそれを「同じ川」と呼ぶ。

一見すると矛盾しているが、実はこれは生命科学にも通じる。

私たちの体もまた、日々少しずつ入れ替わっている*2。

皮膚は数週間で新しくなり、腸の細胞は数日単位で入れ替わる。骨でさえ、数ヶ月かけてゆっくりと作り替えられている。つまり、「昨日の私」と「今日の私」は、見た目は同じでも中身は少しずつ違っているのだ。

中高校生に話すとき、私はこう説明している。

変わることは明るい未来につながる。変われることは生きている証拠だ。

進路に迷う人、人間関係に悩む人、自分が嫌になる人──そうした若者たちに、私は大丈夫だと伝えたい。あなたは昨日と同じではないし、明日とも違う。変化し続ける「いのち」は、未来を変える力を持っている。無限の可能性を有している。

吉野川の流れを見つめながら、私は自分自身の変化についても考えた。若い頃は、研究こそが全てだと思っていた。実験を繰り返し、データを積み上げ、生命の営みを科学的に明らかにすること。病気の原因を突き止め、社会に役立てること──それが科学者としての使命だと信じていた。夢そのものだった。

しかし、人生は予想外のことの連続だ。肺がんや大腿動脈閉塞症などの病気を経験し、様々な出会いを重ねる中で、「今この瞬間の生き方が大切だ」と思うようになった。

川の音が静かに響くキャンプ場で、私は深呼吸をしながら思った。「いのち」は、変化そのものだ。だからこそ、日々新たな可能性がある。この旅が終わる頃には、私はまた違う自分になっているのだろう。川と同じように、絶えず流れながら、しかし確かに「私」という形を保ちながら。

10月23日午後、Y新聞社の記者HI氏が大阪から取材にこられた。取材記事は、10月25 日の松山市での高校生向け胡蝶夢号出前授業の様子を織り交ぜて11月26日の夕刊に掲載された。私はHI氏に「胡蝶夢庵(*3)」にて薄茶を一服差し上げ、一期一会の時空間を共に味わった。時間は絶え間なく流れて行く。思わず、「時間よ止まれ!」と発したくなる。その瞬間に「メフィスト」の顔がのぞく(*4)。

胡蝶夢庵で薄茶を振る舞う著者 四国三郎の郷