【前回記事を読む】私たちの体は、実は「星のかけら」からできている…体を形作る酸素や炭素。元をたどると、ビッグバン、超新星爆発と…
第1章 西国に、「いのち」と「平和」を巡る
2 鳴門──芸術が語る「いのち」と戦争
10月22日(淡路島→大塚国際美術館→四国三郎の郷)
レオナルド・ダ・ヴィンチの《モナ・リザ》の微笑みの背景には、大地と川の生命の流れや文明の象徴としての石造の橋が描かれていると思われる。画面左側の緑と水の豊かな自然とは対照的で、画面右側の川は枯渇している。「文明が進めば人類は滅びる」というレオナルド・ダ・ヴィンチの警告であるかのようだ。
ブリューゲルの《バベルの塔》は人類の傲慢を、文明の崩壊を予言している。キリコの《時間の謎》は全ての時間が停止した、その時空間に対する問いかけである。
人類は果たして進歩しているのだろうか? あるいは進歩していると錯覚しながら崩壊へと向かうのだろうか? 進歩とは自己崩壊のプロセスなのだろうか? 時間が止まれば、その時、人は何を思い、何を感じるのだろうか? ピカソ晩年の《自画像》は人間の矛盾への爆発的な怒りだろうか! ムンクの《叫び》には、狂った世界に対する悲鳴が虚しくこだましている。
私はここで、自分の仕事にも思いを巡らせた。生命科学は、病や老いの仕組みを解き明かす力を持つが、戦争や暴力を止める力は持たない。それでも、なぜいのちが大切なのか、なぜ守らなければならないかを、科学の言葉で語ることはできる。
科学技術が発達し、文明が急速に進歩した時代に、人類は自ら滅びる可能性を手にした。核兵器、化学兵器、生物兵器。そしてAI兵器。科学の進歩は人を救う道具にもなりうるが、破壊の道具にもなる。それは、オッペンハイマーの苦悩にも如実に現れている(*1、1、2、3)。
だからこそ私は、特に若い世代に伝えたい。
科学技術は「良いもの」でも「悪いもの」でもない。
「どう使うか」によって未来が決まるのだと。
小雨ふるなか、モネの《大睡蓮》は一瞬にして穏やかな世界へと導いてくれる。美術館を出る頃には雨が上がり、淡い夕日が山の稜線を照らしていた。
芸術家たちの叫びが胸から離れないまま、私は再び胡蝶夢号に乗り込み、次の目的地へと向かった。