小尾根の斜面に取りつくと、ラッセルがきつくなった。寒暖の変化を受けていないこの時期の若い雪は、春の固まった雪に比べて格段に崩れやすい。いよいよ本格的なラッセルとなり、目の前の雪を切り崩し、膝や腿を使ってその雪を固め、足を置くステップを作りながら進んだ。

しかしこの急登は小尾根を乗越すためだけのもので、すぐに再び池ノ谷出合へ急降下しなければならないことを考えると、なんだか空しく、気持ちが萎えてくる感じであった。

数十歩ずつ、鬼島と交替しながらラッセルをし高度を稼ぐ。途中、いい加減足がだるくなってきたので、川田は意を決して「休憩しませんか?」と前を行く鬼島に声をかけた。

しかし鬼島は、振り向きもせず、振り上げる足を緩めることもなく「小尾根の上まで上がってしまおう」と言い、ザクザクと先に進んだ。天気も良く、単調なラッセルであるから確かに尾根筋まで一気に行けなくもないし、まあしょうがないかとあきらめて、川田は鬼島のあとに続いた。

本当に、ひょんなことから厳冬期の剱岳に来ることになったのだった。しかも、まさか鬼島とペアを組むとは、川田は夢にも思っていなかった。

鬼島は当初、他のクライマー二人とともに、所謂「パチンコ」をやる予定だった。

パチンコとは、冬季には釜トンネル手前のゲートから車両通行止めとなる上高地に入り、屏風岩の大氷壁を登り、前穂高岳の北尾根を登攀し、途中で奥又白谷側に下降して前穂高岳東壁を登り、

さらに奥穂高岳、北穂高岳と進んで滝谷の氷壁を登り、大キレットを越えて槍ヶ岳から北鎌尾根を下山、最後に唐沢岳の幕岩の大氷壁を登る山行のことで、ピークに登ったあと、また下って氷壁を登り返し、またピークに立っては下ってまた登り返すことを繰り返すため、「パチンコ」と呼ばれていた。

ヒマラヤの、近年では多くの登山者が登るようになった一般ルートではなく、例えばエベレストにしても南西壁などの難ルートに挑むエキスパートクライマーが国内の事前トレーニングとして行うものであり、相当の技術と体力、精神力がなければ達成することはできないものだった。当初は川田もパチンコに誘われた。

しかし、サラリーマンである川田は休暇の問題もあり、そしてそれ以上に、甚だ自らの技量不足に不安を感じ辞退したのだった。

 

▶この話の続きを読む
3人で挑む予定だった「パチンコ」計画は中止になった。原因は意見の食い違いで…

👉『小窓の王』連載記事一覧はこちら

【イチオシ記事】雨でずぶ濡れの女を家に上げた。脱衣所に散乱した下着を見て、パンティーを出してやるのを忘れたことに気づき…

 

ゴールドライフオンライン(GLO)は、表現者を応援するウェブメディアです。
生身の人間が紡ぐリアルな言葉だからこそ、読者の心を揺さぶる力があると確信しています。
あなたも、"表現者"になってみませんか?
ゴールドライフオンライン(GLO)編集部:glo_henshu@gentosha.co.jp