後に父が語った言葉がある。

「この子は、死に物狂いで生まれてきた」

その言葉は、私の人生の始まりそのものだった。

祐(ゆたか)という名前は、“すける・助ける・導く”という願いを込めて、父がつけてくれた。

祐という字をつけられたことで、私の道は最初から決まっていた。

困難に出会うたび、風のように道が開けたのも、人に恵まれ、守られ、導かれたのも、その一文字が、どこかで働いてくれていたのかもしれない。

生きるとは、最初の呼吸をする瞬間から、すでに物語が始まっている。

苦しみの中で生まれた命だからこそ、

私は“生きる理由”を、生涯探し求めることになった。

この章は、私の出発点である。

ここから風が、そっと吹き始める。

▲2▼ 祐徳稲荷のご加護

生まれて数ヶ月後、今度は高熱に見舞われた。

佐世保中の病院を回っても原因がわからない。

「このままだと危ない」と言われ、家の空気が硬くなった。

立ち上がったのが、気の強いキワばあちゃんだ。

私をおぶい、祐徳稲荷のそばにいる“ものみさん”(祈祷師)に見てもらうと決めた。祐徳稲荷のある佐賀県鹿島市まで、当時は半日がかり。

汗と埃の匂いが混じるバスを乗り継ぎ、背中の私は息をするたびに熱がぶわっと上がる。祖母の背は小さいのに、不思議と大きく感じた。

ものみさんは私を見るなり、母方の実家のそばに吊ってある小さなお地蔵さんの話をした。

粗末に扱われているのが“障り”になっている、と。

祖母はすぐに宮村の母の実家へ向かい、地蔵を手に取った。

土の匂い。藁縄の肌ざわり。少し欠けた頰。高台の風通しのいい場所に据え直し、手を合わせた。

帰路、私の熱はふっと軽くなり、家に着く頃には汗がひと筋すうっと引いた。

命が助かった。

誰かに引っ張り上げてもらったのは、あの日が二度目だ。

それから我が家は祐徳稲荷を信仰した。

私はそれから何度も、人の手に、見えない力に、ぐっと引き上げられることになる。

助けられた者の務めは、助ける者になること――祐徳稲荷と同じ私の名“祐”は、ずっと胸の真ん中でひかっている。