まえがき

本書は、スイスのレマン湖のほとりにたたずむ全寮制寄宿学校「マタンカルム」を舞台に、女子寮での出来事や寮生仲間や先生たちとのやり取りなどを書きました。

私がスイス留学を決意したのは今から40年ほど前のことでした。それには母の影響力が強くありました。

母は、小学生の時からスペイン舞踊を習っていました。高校に入学した時から、ずっとスペイン舞踊を続けたいと思い、スペイン大使館に留学の相談に行っていたそうです。

当時は今とは違い、好きなところへ、いつでも留学出来る訳ではなかったようで、何度かスペイン大使館に通わなければならない時代でした。しばらく大使館に行っているうちに、「もしも本当にスペインに留学したいのならば協力しますよ」とおっしゃってくださったそうです。しかし両親に大反対されてスペイン留学を断念したそうです。

私が小学生の頃、転勤で数年間、家族で海外生活して帰国した方々がいました。その子供たちは英語が話せるようになって帰ってきました。

母は彼女たちの海外生活の話を聞いて、また海外に行きたいという気持ちがよみがえったようでした。その中のひとりが、一緒にスペイン舞踊を習っていた母の同級生でもあり、親友でした。

「子供が外国で勉強をすることはとても良かったわよ。金銭的に余裕があるならば子供を留学させてはどうですか」と言われたからです。

小学生の私に「カナダに留学してみたら」など頻繁に言うようになりました。自分が留学出来なかった夢を私に託したかったのでしょう。

しかし小学生の私は、ひとりで留学をすることは全く考えていませんでした。

私が中学生の時でした。父がある日、知り合いのお嬢さんがスイスの寄宿学校に留学をしていると聞いてきました。そして、「すでに留学をしている親御さんたちと、これから留学を考えている人たちの海外ツアーがあるから、お母さんと参加してみたら」と私に勧めてくれたのです。

母は大喜びでした。もちろん、私と母はツアーに参加をすることになりました。

ツアーではパリ、ローマ、ミュンヘンを見学してからスイスに入り、寄宿学校“マタンカルム”を訪れました。

応接間に通されました。白い大理石の暖炉、赤い色のカーペットにアンティークのソファ、白い壁には大小の絵画が飾られていました。

しばらく待っていると、入寮していた二人の日本人生徒が親御さんに会いに入ってきました。校長先生のマダム・ダントンたちにハグをされて、椅子が足りなかったので一人の生徒はマダム・ダントンのお膝に座っている彼女たちを見ました。その姿を見て“私もここで生活をしてみたい”と思いました。