源馬宏一郎の職業人生

緒言

小生は、1940年生まれの、85歳の暇な老人です。定年後も、フリーランスとして、7年間仕事を続けました。仕事を完全リタイアしてから、気が付けば早くも20年です。

この間、惰眠をむさぼっていた訳ですが、ここは脳細胞に活を入れ、紆余曲折の多かった53年の職業人生をつまびらかにする事とします。

1959年4月に早稲田大学理工学部電気工学科に入学しました。入学直後に、早稲田大学計算センターがオープンしました。ここはオープン方式の運営で、大学所属の者は、誰でも、先着順で予約できました。

この時は、英国ローランド社のLGP30という、32ビット・コンピュータで、ダイオードと真空管の増幅器の組み合わせで演算回路を組み、真空管113本、ダイオード1450本でCPUを構成しました。

メモリは横回転の磁気ドラムでした。アキュムレータは、真空管を使えば高速演算が出来ますが、12AX7という双三極真空管1個で、たった1ビットしか記憶出来ないので、32本の真空管が必要です。これをなしで済ますため、ドラムのトラック1本を使い、少しでも早くアクセスできるように、ヘッドを90度ずらして、4個設置していました。

米国で1956年に発売されたデスク・サイズのコンピュータで、名機とされています。1年生でも予約できるので、関数の級数展開のプログラムを作りました。

アセンブラなどない時代で、0と1を並べた機械語を紙に書いて、順次手作業でドラムに書き込みました。真空管コンピュータを使い、機械語デコーディングした人など今では絶滅危惧種です。小生は生き残りの一人です。

計算機センターには、その後日本電気のNEAC2203や東芝のTOSBACなどが導入されました。変わり種としては、磁歪遅延線をメモリにした、米国のパッカード・ベル社のPB250という機種がありました。こ

れは元々ジェット戦闘機の火器管制用のマシンだそうです。磁歪遅延線上でパルスを循環させたメモリに書かれたプログラムを最適な番地に配置すると、演算速度が5倍も速くなるという珍奇なマシンでした。

1962年、いよいよ4年生になり、卒業論文の作成に取り掛かりました。

テーマは、九州電力の上椎葉水力発電所のダム水位の制御をどうするかという問題です。

今後の降水量の予測から、今の時点で水をどれだけ使って発電したらいいかを長期的な運用を考慮した上で計算するのです。発電量を絞ると、不足分を石炭火力発電で補う必要が出て来ます。ダムの水は無料ですが、石炭はお金が掛かります。

将来を見据えて、今どれだけ水力で発電すれば、長期的にお金が少なくて済むのかを計算するのです。

1か月区切りで計算し、12か月分で、1年分になります。これを、10年分計算しました。1か月分で40分の計算機の使用が必要で、4か月間学内トップの使用時間になりました。

この計算結果は、九州電力に伝えられ、高い評価を受けたとの事。論文は電気学会の発表会で、翌年4月に発表しました。

次回更新は10月23日(金)、14時の予定です。

 

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