「目がみえないのに、よくわかるな」

「まあね。あの人、どうしたんだい? 商売、やめちゃったのかい?」

「異国の隊商が去って、商売が一段落したからな。酒好きな人だし、爺さまといっしょにどこかで飲みあるいているのかもな」

「爺さまって誰だい」

「関係ないだろう。よけいなことに首をつっ込むと、身をほろぼすことだってあるんだぞ」

私は、女を追いはらおうとした。話をするのがめんどうだったのである。女は、しゃぶりおわった骨を、ポイと投げすてた。

「あんた東廠(とうしょう)のまわし者かい? 知っとかないと生きてゆけない、ってことだってあるじゃないか。いざというときには、ちょっと小耳にはさんだことが、死活をわけるんだ。あたしゃ最下等の人間だけど、いろんな人からいろんなことを聞きおぼえて、この市(まち)で命をつないで来たんだ。べつに、その爺さまをどうこうしようってわけじゃない」

口もとに、肉のあぶらをつけたまま、けっこうな剣幕でまくしたてた。
その剣幕に、おされてしまうのが、私のわるいくせかもしれなかった。

「……皇帝をいさめて、ながいこと獄につながれて、ようやく出獄して来たって人だ。みんながおそれて言わないようなことを、ずけずけ言うもんだから、すっかり心酔したみたいでな。たしかに、勇気ある人とみた。東廠(とうしょう)なにするものぞ! なんて、威勢よくぶちあげていた」

「ふーん。あのおやじ、その爺さまと、飲みあるいているのか。いい身分だねェ。あんたも、ため息なんてついてないで、気分転換すりゃいいじゃないか」

「むりだ。あのおやじは自分の店だからいいが、わしは使用人だ。怠けていないかどうか、いつも見張られてる」
「見張りがいるのか。でも最近、麵が売れなくて、ヒマなんじゃないのかい?」

「お察しのとおり、商売あがったりだ。常連も、ときどきしか来ない。こんな陽気になると、客が欲しがるのは、熱い麵よりも、つめたい氷だろうな」

「でもあんた、あたしよりゃずっとましだよ。五体満足なからだで、それにちゃんと仕事があるじゃないか。ま、アタマがのさばり出したら、からだを動かすことだね。なやみがなくなるこたぁないけど、動いてるうちに、半分くらいにゃなるさ。またくるよ」

女は両ひざと両手で四つん這いになり、人ごみの中へと消えていった。それが、この通りで女を見た、最後となった。

――からだを動かせ、か。

私は、来ない客を待ちながら、呼吸をととのえて気功をめぐらせてみたり、太極拳のまねごとをしてみたりした。