「新山君、まだいる?」
ジムの入り口のドアを開け、今村さんが顔を出した。
「はい」
「今日のトレーニングは終わった?」
時計は夜九時を回っていた。彼は俺を陰で応援してくれている内装工務店の経営者で、裏表のない気さくな人だった。
「次の試合、決まってないだろう。久しぶりに呑みに行かないか?」
会長やトレーナーに聞こえないように近づいて来て、小さな声で耳打ちする。
今村さんは直接、俺から試合の券を買い自分の知り合いや社員に配っているようだ。酒を呑みに行くことに会長やトレーナーはあまりいい顔をしない。
それは、そうだろう。その後の調整に決してプラスにはならない。
特に俺は、自分の階級のバンタムリミット、一一八ポウンド、五十三・五二キロまで落とすのに十キロ近く減量するときもある。普段は三キロ増ぐらいで抑える努力はしているが、気を抜くと体重は知らない間にすぐ増える。
筋肉のつかないトレーニングをしているのだが続けていくうちに、どうしても筋肉量が増え減量が段々と厳しくなる。
どのボクサーもみな同じで、階級を上げる選手が多いのはこのため。
俺もアマチュア時代はフライ級だったが、プロではバンタムでやっている。
今村さんはそれをすべて承知で、それでも憂さ晴らしにと内緒で呑みに誘ってくれる。
「息抜きは必要だよ。ずっと張り詰めたままじゃ良くないよ」
俺は船山に手を上げて、今村さんと外に出た。
行きつけのキャバレーのボックス席に座り、防衛戦に勝利した千葉隆俊戦について今村さんと話をしていた。
「うわぁ〜。また勝ったの! 好ちゃん、凄いわ。強いのね! 素敵!」
キャバレー嬢のマユミが、営業笑いを見せながら俺の隣に腰かけた。
アイシャドーをしっかり塗って真っ赤な口紅をつけている。胸の大きく開いた上着、丈の短いスカートを身に着け、ご丁寧にそのミニスカートで足を組むのだから下着が見えるすれすれだ。
胸元に目をやれば、深い谷間も見える。わざとそうしていることは、わかっている。
「あらぁ〜。マユミちゃん。好さんの隣は今夜、私じゃなかったかしら?」
別のキャバ嬢のエリカだ。
「新山君はどこへ行っても、モテるな。日本チャンピオンで二枚目だからモテないわけないか」
薄暗い店の中で、ウィスキーを呑みながら今村さんが笑っているのがわかる。
試合が済んだ解放感とタイトル防衛の安堵感で、俺は気兼ねなく酒を呑むことができた。