一方、奄美の男性たちには、華やかな武勇伝がほとんど残されていない。
室町後期から江戸初期にかけて編纂された、沖縄の歌謡集である「おもろそうし」は、エサオモロ(英雄伝説)、エトオモロ(航海に伴う労働歌)、アスビオモロ(祝い関係歌)の三本立てで構成されている(『おもろそうし上・下』間守善著:2000・3・16)。
これに対して、奄美の島唄には、「エトオモロ」と「アスビオモロ」に相当する歌謡は多く残っているが、「エサオモロ」に当たる歌謡がほとんど残されていない。
したがって、英雄伝説的なものは、奄美にはほとんど残っていない。
因みに、同じく縄文人の血を多く引くとみられる、アイヌ民族の叙事詩であるユーカラには、豊富な英雄伝説が残されているのである。
沖縄や薩摩、さらに明治維新後の本土日本文化が移入される以前には、奄美の男性は、女丈夫(奄美ではバッケ)な女性に押され気味だったようである。
各家族はそれぞれに、年老いて体の弱った年方(としかた)(祖母(アンマ)や祖父(ジュ))を部屋の一角に抱えていて、「長幼(ちょうよう)の序(じょ)」として敬い、憐みの対象として家族の中心に据えて大事にしていた。
その家族構成をもって、それぞれの村が大家族として形成されていた。
こうした社会は「年方や長老」を一種の象徴とした原始共産制(一種の一君万民(いっくんばんみん)的社会)であるといえるのではないか。
すなわち、年方(君:今日では象徴)の家族(国家)での存在は、先述のとおり、赤子と同様に親心(慈しみ)を交換する対象であり、同時に、年輪(万世一系)に裏打ちされた知識と伝統の「権現」であった。
年方は、慈しみと尊敬の対象ではあったが、権力(体力)や形而下における強制力はなかった。