【前回記事を読む】なぜ縄文時代は1万年近く続いたのか──「物質的には底辺レベルの平等社会」と言われた奄美大島の社会環境と似ていたからで…
1部:奄美大島と日本文化
縄文時代はなぜ長く続いたのか
素朴で原始的であった奄美社会
すなわち生産性も低く皆が等しく貧しく、それでも生活は足りていて、知的好奇心や不満は低く少なく、最低限必要なもの以外への関心もはたらかず、余計な考えが芽生える余裕がなかった。
方言文化を頑なに守ってきたことで、文字の発達が著しく遅れた。その遅れによる語彙(ごい)の少なさを補うために、同じ単語や熟語を別の意味に変えて使い分けるようになってきた。
一つの言葉や発声に、手振り身振りや表情、さらに発声の強弱などを加味して、場面に応じて使い分けることで語彙の少なさを補った。
そのために、言葉に出さないでも、相手の表情やしぐさ、声の調子から、暮らし向きや悩みなどを、瞬時に感知できるようになってくる。
早朝、鍬を担いで田畑に向かう道端で交わす目礼のみで、相手の機嫌や暮らし向きまでもが読み取れるほどになっていく。
たとえば、「加那(かな)」という言葉には、愛しい、良人、恋人、彼氏、童、妻、尊敬などの意味がある。
また、「体臭(みかだ)」には、汗の臭い、袖の香、手拭いの香、面影、思い出などの意味を持たせている。
この語からもわかるように、ほとんどが女性の感性にみられる用語である。
女性優位社会であったことの証でもある。
奄美の女性たちは、「思い余って言葉足らず」の現状を、何とか打破して自分の思いを相手(主として男性)に伝えようと努力していたことが窺える。それでも、鈍感な相手には、なかなか通じ難かったようである。
女性が賢くて生活力が旺盛であったために、歴史における男性の影はうすい。
こうした女性の感性の鋭敏さや艶やかさは、単に女性自身の生来の性質によるだけではない。
女性たちの犠牲(外来者に対する伽(とぎ)や接待・現地妻)によって得られた知識よるものでもあった。
同じことばを場面に応じて使い分けることで、微妙な思いも相手に伝えることが可能であった。
今日「さんどう」を意味する語として、参道、賛同、山道、三道、参堂、産道などがあげられる。これを文字でもって示さずに、パントマイムで相手に伝えようとするようなものである。
文字で記述された社会規範や日常生活に伴うこまごまとした規則などは、無いに等しかったけれども、習慣(不文律)で十分機能していたのである。