◎若槻家・岸家とのつながり
前田家は後に弁護士で貴族院議員の岸清一の姉・トヨ氏を嫁にもらいました。
岸清一の従兄弟には内閣総理大臣になった若槻禮次郎がいましたが、この三家はいずれも雑賀町の住人でした。
若槻禮次郎は慶応2年(1866)雑賀町の足軽奥村仙三郎の次男として生まれ、長じて同町の若槻敬の養子となりました。
のちに東京帝国大学を首席で卒業して大蔵官僚となり、次官を経て桂太郎内閣で大蔵大臣に就任。以後は政治家として歩み、大正15年(1926)と昭和6年(1931)の二度、首相に就任しました。
同5年(1932)にはロンドンで開催された海軍軍縮会議の首席全権を務めたことで知られています。
また、岸清一は慶応3年(1867)雑賀町の足軽岸伴平の次男として生まれ、若槻とともに東京帝大に進み、明治26年(1893)に弁護士となりました。
学生時代、選手として活躍した岸は明治44年(1911)嘉納治五郎らが設立した大日本体育協会(日本体育協会)の維持員となり、のちには会長に選ばれます。
1 アメノホヒ:アマテラスの第二子で出雲国造(いずものくにのみやつこ)の始祖、オオクニヌシの祭祀を司る出雲大社教(いずもおおやしろきょう)の教祖
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