【前回記事を読む】この令和社会に対する違和感は、なぜ生まれるのか──「日本人らしさ」の変質を、日本(対欧米)の伝統的価値観の視座から…
第一部 歴史と不易─系譜から紐解く伝統的価値観─
まえがきでも触れたように、筆者は雲州松江藩(松平家)に仕えた一族に血縁を持ち、その系譜が自身の思想や哲学の形成に多大なる影響を及ぼした。
筆者は生来、歴史への関心が強く、その思いは自然と、筆者自身へも向かうことになった。そこから派生して、自身と歴史との関係性や価値観の原点を辿るべく、筆者の家系や先祖について専門会社(家樹株式会社)に詳細な調査を依頼するに及んだ。
このような経緯からもたらされる価値観の醸成は、本書に大きく関わる文字通り「根幹」でもある。
「神々の国」「神話のふるさと」とも呼ばれる島根は日本神話に所縁がある。
奈良時代に編纂された『日本書紀』(720年)『古事記』(712年)には、「スサノオ」のヤマタノオロチ退治など、出雲を舞台とした神話が記され、また『出雲国風土記(いずものくにふどき)』には、「国引き神話」など出雲独自の神話が伝承されている。
「国引き神話」とは、「ヤツカミズオミツヌノミコト」が国をつくる際、「八雲立つ」出雲国が細長い布のように小さいため、各地から土地の余りを引いてきて縫い合わせ、これが島根半島となったとするもの。
またスサノオの数代のちの子孫である「オオクニヌシ」が「国造り」により築いた「豊葦原瑞穂国(とよあしはらのみずほのくに)」(日本国の美称)が「アマテラス」へと奉還(国譲り)され、これによりアマテラスはオオクニヌシに、「幽冥(かくりよ)」(目に見えない、人間の能力を超えた世界)を司り「むすびの御霊力」によって人々の幸福を導くよう命じた。
そしてオオクニヌシの住居として「天日隅宮(あめのひすみのみや)」を築き、アマテラスの第二子「アメノホヒ1」をオオクニヌシに仕えさせた。
この高天原(たかまがはら)の「八百万(やおよろず)の神(かみ)」が集う天日隅宮が現在の「出雲大社」である。
松江市は古代出雲の中心地として早くから発展し、奈良時代には国庁(こくちょう)や国分寺(こくぶんじ)が置かれていた。
地名の由来は、1611年(慶長16年)堀尾吉晴公が亀田山に城を築き、白潟と末次の二つの郷をあわせて松江と称したことに始まる。
江戸時代には堀尾氏3代・京極氏1代・松平氏10代の城下町として栄え、この時期に現在の都市の基礎が形成された。
1871年(明治4年)廃藩置県によって県庁が置かれ、1889年(明治22年)に全国の30市とともに市制を施行している。
(2025年12月8日 筆者撮影)