〈筆者の駐在地と赴任時期〉

バルセロナ(スペイン):一九九六年、二〇代後半

メキシコシティ(メキシコ):二〇〇〇年から二〇〇六年まで、三〇代

アムステルダム(オランダ):二〇〇九年から二〇一一年まで、四〇代前半

モスクワ(ロシア):二〇一二年から二〇一五年まで、四〇代後半

パリ(フランス):二〇二一年から二〇二四年まで、五〇代

 

【中世の余韻と太陽と情熱の国 スペイン編】

「碧き空と海のバルセロナ」

自分は、一五歳になった春に、海外駐在という仕事に就こうと志した。

父の仕事の関係で、それまでの二年間を中東の小国で過ごしていたのだが、小さな日本人コミュニティだったので、自分の父をはじめとする大人たちと接する中で駐在員という仕事があることを知り、自分も社会に出たら、駐在員という職について海外で仕事をしたい、必ずそうなるのだと決意した。

中三になった春に、高校受験のために帰国して、それから一〇年以上、一度も海外に出たことはなかったのだが、海外駐在員になりたいという、ただその一点だけを念じ続けて青春期を過ごした。

そんな自分が、夢を叶える切符を手にしたのは、入社五年目の夏。

スペイン語の研修生として、一年間、バルセロナに派遣されることになり、関空発パリ経由のエール・フランス機で現地へと向かった。

機中では、まるで、長い間倉庫の奥にしまっていた自分専用の小型機を外に出して再び大空に飛ばすような喜びを、ずっと感じていた。

パリ経由でバルセロナに着いたのが七月六日。翌七日は、スペインでは、牛追いで有名なパンプローナのサン・フェルミン祭りの日だったが、バカンス期に入ったバルセロナの街は閑散とし、多くの飲食店が夏期休業でシャッターを下ろしていて、とても静かだった。

その日のバルセロナは快晴で、空はどこまでも碧く、しかも、日本のように湿気がなくてからっとしていて、時折吹き渡る風がとても心地よかった。

自分は、逗留していたランブラス通り沿いのホテルを出て、カメラを手に、海の方へと歩いた。

ランブラス通りが海に至る場所には、コロンブスが新大陸を指さすモニュメントがあり、その先にはヨットハーバーとプロムナードがあって、岸壁沿いにはナツメヤシが点々と並び、ミロのモニュメントが何カ所かにあったように記憶している。

地中海の太陽は刺すように強かったが、湿気がないのであまり汗をかくこともなく、空の碧を深く映し込んだ建物の影で飲むビールは最高に美味かった。

それが、バルセロナで過ごした最初の一日の自分の記憶である。

空も海も、どこまでも碧かった。

 

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