【前回の記事を読む】大学を中退し、親の金で生きていた22歳…ある日、新聞の「3行広告」に釣られて電話を掛けてしまった。「今から来られますか?」と呼び出され…

第一章 職人としての原点 東京楽器の一年目

東京楽器入社 池袋のアパートから

翌朝、緊張を抱えながら再びその扉をくぐった。事務の瀧川さんに案内され、二階へと上がる。そのうちの一部屋に通され、職人たちの前で紹介された。

「今日から桂くんが入ります」

「よろしくお願いします」

どこか夢の中にいるような感覚だった。

瀧川さんと少し言葉を交わしたのち、瀧川さんは「じゃぁそういうことで」と言ってさっさと一階に下りて行ってしまった。その背中を見送り、ふとあたりを見回すと部屋には誰もいない。さっきまで確かに六人くらいいたのに、机と椅子は並んでいるが、座っている者は一人もいない。

「あれ……?」

そのとき、不意に現れた男が声をかけてきた。

「どこ出身?」

「熊本です」

「自分は与論島だよ」

ヨロン島? 一瞬、わたしは考え込んだ。

どこか外国の島か、バリ島のような場所か……。

その男は続けた。

「ちょっと変わってるだろう? 昼休みになると、みんな散り散りに蜘蛛の子を散らすみたいに違う方向へ行くんだ。誰も誘わないのが普通なんだよ。だから気にしなくていいんだよ」

その名は後になって知ることになる。川嶋悠人さん。

最初にわたしに声をかけてくれた職人。

川嶋さんは、東京楽器で最初に出会った変わった人間だった。話す口ぶりも独特で、観察眼も鋭く、そして……これもまた、後になってわかるのだが、誰よりも変わっていた。川嶋さんとの出会いは、この工房での日々に、静かに、しかし確かに色を加えていくことになる。

結局、初日の昼休みは、社内の誰もがどこへ昼食を食べに行くのかわからず、戸惑いながらひとりで会社のビルを出て、隣の小さなラーメン屋へ入った。