【前回の記事を読む】「安宿のトイレだから汚い」と覚悟していたが…なぜか全身スーツでキメた男性に、満面の笑顔で迎えられた……洗面台も鏡もピカピカで……

Chapter 1 New Yorkで遭遇したトイレの神様

アメリカ

ある日その彼に、知り合いの電話番号を教えてくれないかと頼まれました。よく立ち話をする共通の友人だったので、快くその人の名前と電話番号を紙に書いて渡しました。すると……ちょっと困った感じで間がありました。

"What does it say here?"「これなんて書いてあるの?」

いつもより声が小さく、少し恥ずかしそうだったトーンが忘れられません。ハッとしました。字が読めないのです。番号しかわからないよう。いつも普通に話をしていたのですが、まさか読み書きができないとは思いもしませんでした。かたや僕は日本語も英語も読み書きができる。なんと立場が違うのだろうと愕然としました。

現代の日本に生活をしていると、こんなことを考えることはないかと思いますが、日本の識字率はほぼ100%で、世界の中でも高い順位にあります。ところがアメリカでは80%に満たないのです(それでも日本にも読み書きができない層が少なからずいるという事実を忘れてはいけません。)

貧困層に生まれたというだけで十分な教育を受けられないまま育ち、その結果仕事に就けないという人たちが、特に黒人社会に多くいます。低所得者が集まる地域で暮らし、勉強を頑張っても十分な教育費が払えないため良い学校へ進めない。そもそもこのような地域にある学校自体が常に予算に困っているために、施設は古いまま、良い教師も集まらない。

黒人というだけで白人と同じ土俵に上がれない現実があります。Systemic Racism(制度的人種差別)と言われるものです。諦めや怒りから、ついには犯罪に手を出す悪循環もこの社会は生んでしまいます。アメリカに蔓延(はびこ)る人種差別はいまだに根深いのです。

僕や周囲の者も彼に対して差別の意識はいっさいありませんでした。彼のことがみんな好きでした。でも社会のシステムは生まれた時から決まっているのです。これがアメリカか。突然目の前に突き付けられた現実は、若い自分をやるせない気持ちにさせました。いま分断されているアメリカの政治を見るとその複雑さを垣間見ることができるはずです。

彼の家族や親戚の間では「お前空港で働いているのか、すごいな!」と言われていたそうです。職種がなんであれ、空港で仕事をしているだけで特別な目で見られていたのです。彼もきっとそれなりにプライドを持って働いていたに違いありません。

冒頭で述べたようなシェルターに入るようなホームレスは働かないのではなく、働けない人がほとんどなのです。仕事にありつけず、冬の寒空を外で過ごさざるを得ない人々は、NYのみならずカリフォルニアなど他の州にもたくさんいます。

日本のホームレスは道端で新聞を読んでいることに驚かれます。なぜ字が読めるのに働かないのだと。日本の場合は世捨て人が多いようなイメージです。

もちろんみんながみんなそうだと言っているわけではありません。いろいろなケースがあることでしょう。しかしこの違いは知っておく必要があります。僕はこの経緯があって以来、一度忘れていたNYの清掃員のことをよく思い出すようになりました。