「ありがとう。でも、なしが良いです」
礼の気持ちを微笑みで表されながらも、断られる。
そこまで言うならと、相手の強い希望を汲み、了承した。
「そう。分かった、持ってくる。待ってて」
早口に答えて裏側の厨房に回る。他の店員は既に帰している今、オーダーに応えられるのはオーナーである自分だけ。
磨き上げられたチェイサー用のグラスを手に取り、氷を入れずにサーバーの口から泡立つ水を注ぐ。適当な量まで注いだところで注ぐのを止める。同じ物を、自分用として、もう一つ。泡の立ち上るグラスを手に、心持ち早足で表に戻った。
さらに脱力感を強めている様子のオーダーの主に、片方のグラスを手渡す。ありがとう、と両手で丁寧に受け取るや否や、グラスの中身に鼻を寄せてきた。子犬が目新しい何かに警戒しているかのようだ。ユーコは思わず笑い出した。
「やだ、お酒なんて入れてない」
「あ、と。すみません。つい」
謝罪を口にしたオーダーの主は、捉えた水の香りから、言われた通りと確信した。
確かに、酒の気配はない。安堵して息を吐いた。ユーコに信頼がないわけではないが、ノリで酒を混ぜてくるぐらいのビックリは、やりそうな人ではある。
お疲れ様。
さりげない一言に合わせてユーコがグラスを上げると、頬を緩めた相手もそれに倣った。
乾杯を合図に少量を口に含めば、ほど良い刺激が舌の上で弾ける。水に移されていた柑橘系の皮の香りが鼻に抜けて、昂(たかぶ)っていた頭の中が落ち着いていくのが、何とも心地良く感じた。
ゆったりと喉を潤してからしばらくして、本日のステージを中心となって盛り上げていたシンガーのメッサーは、この舞台を設けてくれたオーナーのユーコに対し、改めて御礼を伝えた。