Ⅰ.現実世界:とある場末のライブバーで

ライブの終わった夜更け、扉のタグを「閉店」に裏返してから店の中に戻る。夜の寒さがなくなった空気に安堵しつつ、季節の移り変わりを感じた。

客のいなくなったライブバーは、営業中の盛り上がりが夢だったかのように静まり返っていた。閉店のための整頓と清掃を終えた店内を、足音を鳴らしながら、改めて見回してみる。

店中を埋めた観客と自分を含む店員が心を震わせた楽器の音色と歌声は、時間と共に過ぎ去っていった。舞台の上から演者が去り、客が全員会計を済ませて帰った今もなお、一夜のステージが形作った音楽は、この場所にある全ての中に溶け込み、残っているようにすら感じられる。

今時珍しいライブバーという形態のお陰かもしれないが、残り香を求めたくなるほどに衝撃を与えてくれたステージだったのもまた事実だろう。

本日の役を終え、束の間に休みを取っている楽器が並ぶ舞台の上、客席から一段高くなるよう設けられたその片隅の段差に腰掛けているのは、今夜のステージの主役だった。

ステージで身に着けていた華やかな装飾は全て外され、黒一色で統一された動き易い上下に身を包んでいる。

終演後、舞台の隅から客席を、ライブ中には彼女が熱狂させていた客席のがらんとした様子を、部屋着とも言える格好で、ぼうっと眺める。

この店でのパフォーマンスを終えるとなぜか必ず行っている、あの子の習慣。

そう知っていたユーコは、驚く素振りも見せず、微笑みながら話しかけた。

「何か飲む?」

考える間を置き、返ってきた答えには驚いた。

炭酸ガス入りの水を、氷なしで。

「水割りじゃなく?」

驚いたまま問い返すと、肯定の軽い頷きが返る。

「うん。お酒は、なしで」

素晴らしいステージへの労(ねぎら)いとして一杯奢ると申し出てもみたが、首を振られた。