劇作家で評論家の山崎正和は日本の六〇年代を回顧した著書『おんりい・いえすたでい'60s』で、この時代の特徴を「大衆化」「情報化」、「国際化」と分析した。

一九五〇年代に始まった高度経済成長によって、日本は終戦直後の「生きるための生活」から「消費を楽しむ生活」に変化した。

その結果、「モノの豊かさ」や「カネの力」が国民の価値基準になり、伝統的な価値観は徐々に失われた。

農村から都市への人口移動が起き、都市化と核家族化が進み、地縁・血縁中心の価値観は薄れた。

テレビが急速に普及し「情報化」が進展、国民の価値観は同質化していった。

一九六四年の東京オリンピックを境に「国際化」も進んだ。

学歴や地位にかかわらず、政治や情報にアクセスできる平等主義が広がり、大衆が社会のあらゆる分野を主導する「大衆社会」が形成された。

評論家の大宅壮一は、大衆化と情報過多で、だれもが評論家のように意見をいう「一億総評論家」時代になったと指摘、その内容が浅薄で思考停止に陥ったことを「一億総白痴化」と揶揄(やゆ)した。

なかでも国民意識を変えたのは、昭和三十一(一九五六)年の経済白書を飾った「もはや戦後ではない」という言葉だったろう。

単に経済規模が戦前のピークを超え復興は終わったという意味だったが、戦後という新しい時代に入ったと受け取られ、「戦前は悪、戦後は正義」といった認識が広がった。

戦後民主主義の象徴である日本国憲法も、米国に押しつけられたものだから自主憲法に改正すべきだとする保守勢力に対し、左派勢力は平和主義を理由に護憲を主張した。

ただ、同じ護憲でも共産党や社会党急進派は、憲法を革命政権誕生までの通過点にすぎないとみており、左右両翼とも内心では憲法を「かりそめなもの」と軽視した。

山崎氏はこうした六〇年代を「不定愁訴の時代」と呼んだ。経済は急成長するが、精神的な拠りどころが見つけられず、心は物憂く、不機嫌な時代という意味である。