三島由紀夫系図

 

第一部 「楯の会」の三島由紀夫

序章

価値観が激変した60年代

昭和四十五(一九七〇)年十一月二十五日、作家の三島由紀夫は、自身が主宰する楯の会会員四人とともに東京・新宿区の陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で決起し、三島と学生長の森田必勝(まさかつ)は割腹して果てた。

警察関係者や三島と親しかった村松剛からは、二人とも立派な最期だったと聞いている。

私は昭和四十二(一九六七)年十二月に初めて三島に会い、楯の会の前身の祖国防衛隊を経て四十五(一九七〇)年二月まで、楯の会の会員だった。

わずか二年余りだったが、三島はなぜあのように死んでみせなければならなかったのか、訴えたかったことは何だったのか。これが私の生涯のテーマになった。

三島の行動や発言の背景にあったのが一九六〇年代の社会の変貌だ。

戦後民主主義が浸透し、国民の価値観は大きく変わった。共同体的秩序が壊れ、価値観が個人、消費、自由へと転換した。

三島が政治的な発言を始めるのは昭和三十六(一九六一)年の小説『憂国』からだが、七〇年の自刃まで精神的支柱を失った戦後の日本を憂い、あるべき国家像を提起した。

三島が憂慮した六〇年代とはどんな時代だったのだろうか。