その後も、緊張のあまり身動き一つとれない僕を見た太夫は、文机の引出しから小さな朱色の紙包みを取り出しながら僕に優しく話しかけました。
「絵師さん、ちぃと口を開けておくんなし……」深雪太夫は、なすすべなくポカンと開いた僕の口に、紙包みから取り出した小粒をぽんと放り込みました。
わわっ……と顔を真っ赤にしながら後退った僕は、放り込んだときに太夫の指が一瞬触れた自らの唇を手で覆いました。
「……あ、あれ……? 甘い……ですね……」
いたずらっぽく微笑みながら、深雪太夫は取り出した包みの中身を見せました。
「金平糖でありんす。やっと声が聞けんした」
そう言いながら、笑みを浮かべる深雪太夫を見て――僕は真っ赤なゆでダコのようになってしまいました。
四半刻ほどして漸く、金平糖の甘さと深雪太夫の軽口に緊張がほぐれた僕は、少し低い声で「神楽(かぐら) 雅楽(がらく)」と名乗りました。 そして遠慮気味に太夫の目を見つめながら「こたびのお話、誠におめでとうございます」と告げるのがやっとでした。
「ちぃとも、めでとうござりんせん……」とうつむきながら太夫がつぶやきました。「あちきへの扱いを見なんし……大旦那さんの武左(ぶざ)(威張り)は、もういりんせん!」
そう言われて、ただ目を伏せることしかなかった僕に、
「けど……艶絵のことは、本当(ほん)ざんす。主(ぬし)さんが描きなんす絵だけが、あちきへの慰めでござりんす」
そう言いながら、深雪太夫は赤い紙包みをそっと文机に仕舞いました。
僕はしばらく黙り込んだのち、ついと顔を上げ、
「わかりました、では深雪花魁の――本当の艶姿をここにもれなく写しとりましょう」
そう言いながら、銀色に輝く絵筒の中から取り出した真っ白な巻き紙を広げ、とても柔らかな微笑みを浮かべました。
妓楼の御作法にがんじがらめに縛られた遊女などではなく……そのありのままを残してさしあげたい――僕の言葉がそんな風に聞こえて、太夫の心は少しだけ軽くなりました。
その日からというもの、太夫は僕の前では自分らしく振る舞うことができ、そして笑い、吉原に来てから初めての……長らく忘れていた穏やかな気持ちを思い出したのです。