【前回の記事を読む】「誰が嫁に貰ってくれるんだ」…愛情障害を抱えた女子大生が、結婚や“普通”の幸せを捨てて、芸能界を目指した理由は——
8.THE WORLD IS MINE
入学式から程なくして、私はテニスサークルに入った。
テニスなんか微塵も興味はない。今までの言動を見て私が「テニスが楽しそうだから」とかいう、見かけたちょうちょを追いかけるような純粋無垢のピュア野郎に見えるか?
選んだ理由は打算的なものだ。そのサークルのSNSをリサーチした時、OB・OGのリストに芸能関係者らしき名前が複数あった。投稿のトーンから推察するに、現役部員と今だに頻繁に連絡を取っている様子だった。
薄いパイプでも、ないよりはある。ある方が使える可能性がある。使える可能性があるなら取っておく。投資は早いほどいい。
そんな中でひとつ気をつけたことがある。
それは、周囲の空気に飲まれないようにすることだ。
高校までと根本的に違うのは、強制力がないことだ。
一部の授業は出なくても単位が取れる仕組みがある。最後のテストだけで成績が決まるもの。それも過去問さえ手に入れてしまえば、さして難しくない。俗にいう楽単というやつだ。
そして、サークルは幽霊部員でも叱られない。誰も一個人の居場所をわざわざ割り当ててくれない。高校のクラスという密室は、言いようがない閉塞感がある代わりに、強制的に他者と接触させてくれた。接触があれば情報が得られる。情報があれば動ける。『=』だけで結ばれた単純明快な式がそこにはあった。
しかし、大学にはその強制力がない。
行き過ぎた自由というのは、放置に近しい。
放置された人間が何をするかというと、だいたい流れる。水が低いところに流れるように、負荷の少ない方向に流れる。私の周りにいる同級生たちはそうだった。
とりあえず友達らしき人間を作って、とりあえず授業に出て、とりあえずサークルに入って、とりあえず飲み会に行く。とりあえずが積み重なって、気がついたら4年が経つのだろう。
大学時代を『人生最後の長期休み』と評する人間は少なくない。そして、長期休みというのは往々にして、心のどこか奥底でいつまでも続くような気持ちを抱いて、計画性なく無駄に1日1日を消費してしまう。