天才の軌跡⑥ チャールズ・ディケンズと悪の萌芽
『オリヴァ・ツウィスト』でも、ディケンズの主張は変わっていない。彼の主張というのは、言うまでもなく、権威者への不信である。
教区職員であるバンブル氏、煙突掃除屋の親方、棺桶屋の親方などは、オリヴァの父親代わりとなりうる立場にあるのだが、彼らは、その責務を全く果たしていない。窃盗団の首領、フェイギンが良き父親像たり得ないのはもちろんである。
また、オリヴァの死んだ父の友人であることがわかる、ブラウンロウ氏は、確かに良き父親像として、一見不足はないようではあるが、彼の善良さは、オリヴァを守り、救うには役に立たないのであって、オリヴァの安全には、先に述べたナンシーの死を必要とするのである。
ここで思い出されるのは、『二都物語』におけるシドニー・カートンの自己犠牲である。ディケンズがこのように同一のテーマを繰り返しているのは、彼が善良な父親またはその代理に頼ることができないということを痛切に感じていたからなのであるが、何故、彼が善良な父親の力量不足を痛感し、これについて、繰り返し書かなければならなかったかは後に述べることにして、ここでは、ディケンズの中に善良な父親像に対する憧れと共にあった、悪質な父親像に対する憧れについて述べておこう。
この例として、『オリヴァ・ツウィスト』のフェイギンと、『大いなる遺産』の脱獄囚が挙げられる。何故、ディケンズが悪人である父親代理像に憧れたのかというと、善良ではあっても弱い父親は、悪党の親方が子分を守るようには行動できないからである。
窃盗団の首領であるフェイギンは、悪の象徴であると共に、父親の象徴でもある。犯罪人であるとはしても彼は、つらい棺桶屋から逃げ出してきた、身寄りのないオリヴァに充分な食物と住処(すみか)を与えている。
これらはオリヴァにとって、善悪以前の問題なのである。これらが命にかかわることを考えれば、善悪以上の喫緊の重要性を持っていると言えるであろう。オリヴァはフェイギンの絞首刑の前に彼のために祈ろうとし、フェイギンがそれに興味がないことを知ると彼のために涙を流し、彼と処刑前の一夜を共に話をしてすごしたいとまで言っている。
オリヴァは刑務所を離れる前になると、ほとんど気を失いかけ、歩く気力も持たないほどなのである。このことは、オリヴァの純真さとともに、宿を与え、食事を与えてくれたフェイギンに対して感謝以上の感情を彼が持っていたことを示している。
悪人である父親の代理者に対する憧れは、『大いなる遺産』においてもっとも明確に描かれている。というのは、この小説の後半において、孤児のピップを助けていたのは脱走した囚人であったことがあきらかになっているからである。私はここに、マキャヴェリの、力強い権威者の出現への期待、たとえその力強さが悪と交じり合ったとしてもかまわないとする、権威者による庇護への憧れと同じものを見るのである。