それからはアルバイトを頑張った。実家暮らしだったので生活費はほとんど掛からず、働いて得たお金は貯金した。飲食店での調理のアルバイト、深夜の警備員のアルバイトに精を出した。アルバイトを掛け持ちしたので、寝る間もなく次の仕事に行くこともあった。

そんなアルバイト生活を2年近くしてお金を貯め、バイク旅への準備をした。アルバイトをする傍ら、バイクで外国を走った人達の本を沢山読んだ。

今とは違いインターネットも無く、情報が素早く簡単に手に入る時代ではなかった。一つの情報を得るのに時間と手間が掛かったが、それも楽しかった。

神田神保町の本屋街にはしょっちゅう通い、参考になると思えるバイク関連の本は何でも買って読んだ。外国の道路地図も神保町の本屋で買った。詳細な道路地図が欲しかったが、それがほとんど入手出来ないのは歯がゆかった。

英語の勉強も始めた。テレビの洋楽ヒットチャート番組『ベストヒットUSA』の司会をしていた著名人の推奨する英会話教材を買った。ネイティブと同じ発音が出来るようにと、ラップのリズムでカッコよく英語を話す練習方法だが、学校の英語教科書を勉強するより、よほど面白かった。CDを何度も聞いて練習した。

ともかく無我夢中で前進した。順調だった訳ではないが、後ろに下がる道は無いと分かっていた。そんな僕を、両親は傍観することが多くなった気がした。僕に対して、あまり口出しもしなくなった。

家族にも友達にも、アメリカに行く僕の夢のことはすぐには話さなかった。皆に気軽に話してしまうと、なんだか夢が逃げて行ってしまう気がしていたから。そして、いつか話す時に皆をあっと驚かせてやりたい気持ちもあった。

アメリカに行くと両親に告げた時、父は「そうか、分かった」とだけ言った。

少し寂しそうだった。母も反対はしなかったが、目に涙を浮かべていた。

友人達にアメリカ行きを告げた時は、皆驚いたけど喜んでくれた。随分羨ましがられたりもした。

「アメリカに持っていけ」と、新品の服や時計をプレゼントされた。寄せ書きがびっしり書かれた白いTシャツを手渡された時はグッときた。

 

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