やっとの思いで到着した家は一階が津波の被害で泥や大木で覆われている。息子はそこには居なかった。隣の小学校、保育所、公民館などを一日かけて歩き回ったが、各施設の連絡掲示板には息子の名前は無かった。その日の夜は家の二階で支援物資の食料を食べて過ごしたが、食も進まず息子のことが気になって寝付けなかった。
翌日早朝から遠くの公民館など歩き回ったが名簿に名前は無い。残るは周囲が津波で覆われた立入禁止の中学校だけだが、ここは周囲の水深が一メートル超えなので自衛隊員が立入りを禁止にしている。災害避難所交代の時間が迫っていたので断念して戻ることにした。
職場の災害避難所で生活する人も減ってきた。近隣の公民館で本格的な災害避難所が設営運営されたため、そちらに移動したようだった。なので職場の災害避難所は解除して通常の業務を再開した。仕事をひと段落終えて再度家に帰ることができたのは、あの日から一週間後のことである。
真っ先にあの中学校へ向かった。周囲の水もある程度引いていたので梯子をつかって二階の廊下まで渡る事ができた。自衛隊員も居なくなっている。恐る恐る梯子を使って二階まで渡ると廊下は避難している人で賑わっていた、連絡掲示板の場所を尋ねると職員室前にあると言われて向かうと大きな模造紙に多くの名前が書かれている。
祈るような気持ちで名前を探していたら担任が声をかけてくれた。担任にやっと会えたと同時に「息子さん、無事ですよ」と言われたときは、言い表せない喜びを感じた。
息子と学年主任は家政婦さんの家まで歩いて行っているので帰りは不明とのことだった。どうやら迎えに来ない保護者は私だけのようだったので、最悪なことも考えて、先生たちは息子を連れて家政婦宅まで行ってみることにしたようだ。
まだ職場の災害避難所の片づけや仕事の残務があるので次に来られるのは三日後だと伝えて帰った。その日は安堵のあまり熟睡する。翌朝、熟睡したのはもう何日振りだろうと思った。
災害避難所の最終片付けも終了し、水道と電気の供給が徐々に始まる。まだまだ支援物資に頼らなければならない日々だが、コンビニエンスストアやスーパーマーケットも僅かばかりの食材だが品を揃え始めてきた。
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