【前回記事を読む】彼女に初めてアレを断られた。なんで? あのサックスの男と何かあったのか? もしや俺の浮気がバレたのか…?
「火点し時」
夕空がオレンジ色に染まってから帰宅した。帰る道々、優人は三年前に想いを馳せた。静子と初めてキスしたのもこんな夕焼け空の下だった。あの時から、静子はずっと優人のものだった。もちろんこれからも。
優人はまだ大学生で、静子はフリーターだった。バイト先の喫茶店で、台所仕事に慣れない優人は、火傷したのを静子に手当てしてもらったのがきっかけで仲良くなったんだった。
「もう少しお給料のいいお店に行こうと思うの」
そう言って辞めることになった静子を送っていったのだ。
「会えなくなるの、淋しいけど……」
勇気を出して言ったのだろう、おずおずと俺を見上げた静子はいじらしくて、思わず肩を抱き寄せたもんだった。
そうだ、あの時俺に向けられていた視線は……あのサックスの男を見つめていた甘い目と、同じ……。
いや、まさか……な。
街灯が点き始めた。夕焼けというのは、何故人をノスタルジックな気分にさせるんだろうか……。
ダイニングでは母が買い物してきた材料を並べていた。これから鍋の準備か。リビングには父もいた。いつもどこへ行っているのか知らないが、父も休日にはふらりと出かける。
「正人が帰ってきたら呼ぶからね」
母は、張り切っていると言うほどではないが、少しばかり嬉しそうだった。静子が来た時はにこりともしなかったが……。
自室に戻ると静子からラインが届いた。見ると「昨夜はごめんね」とひと言あった。優人は安堵した。良かった……。
そうだな、きっと俺の心配は的外れだ。へまはしてないはずだ。静子はすっかり俺のものだという自信があった。だがあの河井という男を見る静子の目は、ちょっと危険に感じた。最近はただアパートに寝泊まりするだけで、しばらく構っていなかったのは確かだから、今度のデートで安心させてやらなければ。そう言えば最近は食事も一緒にしてないな。