「ことお母様に関しては、良知先生はその自由を謳歌できないのね、きっと」

思わず振り向いて松嶋先生を見た。先生は自分の裸足の足先を見つめて、足指をつかってグーとパーを繰り返している。

ヨーガ歴の長い先生が足指を広げると、五本の指が均等に開く。ふと、面接で初めて会ったときの、先生の足首を思い出した。

夕方から雪になると予報が出たひどく寒い日の午後で、先生は肌色の厚地のタイツを履いていていた。腰回りで選ぶと長さが余るのか、タイツは足首で余って皺になっていた。

色が思い出せないくらい地味なスーツを着た先生は、襟元からフリルの付いた白いブラウスを覗かせて、カメオというのだったっけ、女の横顔が白く浮き出た大きなブローチをしていた。

俺はときどき先生の足首のタイツの皺に目をやりながら話をした。先生のいでたちは、箪笥(たんす)の上に飾られたまま飽きられ忘れられた、古ぼけた西洋人形を連想させた。

頬が下膨れで目が大きいところも、人形に似ていた。しかし先生の口舌(こうぜつ)はまろやかで、いかにも機転が利きそうな黒目勝ちの目を伏せたり上げたりしながら、俺の質問に的確に答えていった。

あのときの松嶋先生の細いとは言えない足首を、俺は可愛らしいと思った。しかし今、指を開いたり縮めたりしている甲高の足は、鈍感でふてぶてしく見える。

「戻ってきたお母様を家族としてもう一度受け入れるという選択肢は、考えられなかったの? やろうと思えば簡単にできる、でもしないってこと?」

よーし、賭けに出よう。俺は決心した。あの女が探偵か否か……。もし興信所の人間だったとして、それがどうした? 間男(まおとこ)する女房に向かって、戻ってこい、がぴたりと止むかもしれないじゃないか。

それとも俺も先生も慰謝料を請求されるか? そんなもの、踏み倒せばいい。あっちは普通のサラリーマン家庭だ。ちょっとばかり脅かす手段ならないわけじゃない。

「先生、もう戻った方がいいよ。表は今誰もいない。部屋を出ていくチャンスだぜ」先生は足指の体操を止めると、考え込んだままの表情で窓辺の俺をしばらくのあいだ見据えた。それから勢いよく立ち上がり傍にやってきて、身体で俺を押しのけ外を見た。

「いるじゃないの! あの人きっとそうよ」

先生はやにわに俺の頬をつねりあげた。「いるじゃないの、いるじゃないの」と繰り返しながら、みるみる目を潤ませていく……。 

試し読み連載は今回で最終回です。ご愛読ありがとうございました。

 

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