【前回記事を読む】「主人は会社に殺されたんです」と、奥さんが見せてきた名刺…見ると左上に手書きの★印が。見覚えがある社名だがこれは一体…
第1章 静謀
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「ちょっと待ってください! なぜですか? 証拠はそろっています。裏付けだって……」思わず食ってかかる柊を片手で制し、課長は言葉を続ける。
「そんなことは分かってる。だがこれは上の判断だ」
警察組織の中ではこのひと言が最終決定となる。今でこそドラマや映画で観るシーンではあるが、正義の味方になることだけを夢見ていた当時の柊には、受け入れることができるわけがなかった。
「いいか、時期が悪い。相手が悪い。このプロジェクトは省庁横断で進めているビッグプロジェクトだ。ここで何かあれば省庁間で面倒な問題が起きるだけだ。それにな、お前だけじゃなくて捜査に関わった全員に害が及ぶことになる。分かるだろう」
つまり柊一人が正義を振りかざしたところで状況は何も変わらず、かえって仲間たちのキャリアに傷がつく、そういうことだった。柊はこみ上げる怒りを押し殺し、呑(の)み込むしかなかった。
一礼して部屋を出ていく柊に、課長はもう一度、声をかけた。
「俺も若い頃は突っ走ったよ。だがな、決して一線は越えるな。それがお前のためだ」
背中でその言葉を聞きながら、柊はやるせない思いで立ち去った。
その夜、捜査班全員が高級料亭に呼ばれた。テーブルには松阪牛のすき焼き、刺身の舟盛りなどが並び、上座に笑顔で座る課長の音頭で祝宴が始まった。
「みんな、ご苦労だった」と、おざなりな課長のねぎらいの声を受け、捜査員たちは乾杯し、笑いながら目の前の豪華な料理に舌鼓を打つ。酔いも回り、みんな事件のことなど完全に忘れて笑いながら楽しんでいた。
宴の盛り上がりのなかで、ただ一人柊だけは、無言のまま苦いビールに口をつけただけだった。胸の奥にはやりきれない思いと、これで良かったんだという自己弁護がせめぎ合う。同僚に勧められて仕方なく料理に箸をつけたものの、まるで味など感じなかった。