高辻仁さんのご依頼により執筆したこの作品を、その母高辻政子さん、祖母高辻美佐緒さん、仁さんのごきょうだい、太平洋戦争に散った父直人さんとそのごきょうだい、ならびに永らく高辻家のお墓を守ってくださった牧村浩二さんへ捧げます。

第一章 仁の家出と家族のこと

葉山から六本木・麻布へ

1950年の夏休み前のある日、小学3年生の仁(じん)は家出をした。

終戦から5年経っていたが、彼がその母、政子と暮らす葉山はGHQや引き揚げ軍人が行きかう混沌の町だった。

後に大東亜省と名を変える拓務省文官だった父、直人は「シンガポールから阿波丸に乗る」という1945年春の電報を最後に、いくら待っても帰らなかった。

この電報が届いた後、政子は、

「仁ちゃん、おとうちゃまの夢、見なかった?」

と、何度も仁に尋ねたものだった。

このとき仁は数えで4歳。聞かれても黙って首を横に振るしかなかった。そのたびに政子は、

「おかあちゃまね、また怖い夢見たの」

と、強く仁を抱きしめた。

直人が死んで、政子の元には6歳の道子、4歳の仁、2歳の真理子が残された。

戦後、軍人恩給はGHQによって1953年まで停止されたが、文官だった直人の恩給は亡くなった翌年から支給が始まった。

恩給は出ても、コメも味噌も着る物もどこにもなかった。

それでも生きるため、政子が最初に始めた仕事は駄菓子屋だった。

1945年8月15日の正午、ラジオから流れる玉音放送は聞きづらかった。多くの国民は、初めて聞いた天皇陛下の声で敗戦を知った。

2年後の冬、仁の家のお隣、比企さんのご主人がシベリヤから帰って来た。

昨日まで同病相憐れむの比企さんであったが、毎晩電気が点く頃になると家族団らんの笑い声が聞こえた。そのたびに政子は、ああ、もうウチとは違うんだと、自分に言い聞かせるしかなかった。