【前回の記事を読む】胸の中心に集中することで、音楽を聴いたとき、光と振動が流れ込み、頭ではなく心の鏡に精神的な画像として映し出される!?
パートⅡ 無意識と舞踊創作 ―現代舞踊の歴史―
イサドラ・ダンカン(1877-1927)
前述のR・アルンハイムによれば、「舞踊家は自分自身をさらさなければ、作品を上演することはできない」(上昭二訳『芸術心理学のために』1971)と述べ、
「日常生活では、ダンサーや俳優は筋感覚に頼ります。筋肉運動は主として実際的な意図をもって行われるか感情の自発的な表明として行われる。
同様に、われわれは他人のねらいや感情について直接的間接的情報をえようとして他人の振る舞いを見つめる。
他にどのように見えるか〈みえ〉は本質的にその背後に隠れた見えないものを見る鍵として役立つ。
しかし、肉体が芸術形態の媒介者となるとき、それは他人の隠された魂の指標ではなくそれ自体において観者の関心の最終的対象となる。
研究報告から頭や四肢から出る動きと胴体から発するそれとを比較すると、観者は前者を知的で意識的な行為を伝え、後者を無意識的な、主として情感的な振る舞いを暗示する」という。
当時技巧に走ったバレエの中心が脊柱の肩甲骨の間にあり、そこから、手、足、躯幹を動かすということに対して、新しく生まれたモダンダンスでは体の前面の胸の中心から動きが始まるという発言は注目に値する。胴体から生まれる動きは無意識的な、主として情感的な振る舞いを暗示するという。
このような振る舞いを神澤和夫は、「内部生命のような内的なものを外に出すという立場で主観主義の美学である」と述べている。
ダンカンは「自分の意志が作用しない根源的な動作の無意識な反応として、ひとつながりの運動が生みだされるような、最初の運動をまず見つけ出す」と述べる。
ダンカンは、当時、オペラ座の図書館で舞踊とギリシャ音楽と演劇の本を読み、ジャン・ジャック・ルソー、ホイットマン*1、ニーチェを自身の舞踊の師とし、人間の情操を表現しようとした。そのために、ギリシャ芸術の中に典型を見出し、動作の起源である自然に帰ろうとした。
これら、感情のほとばしりから生まれたダンカンの動きの発展について、山口は、その頃定着しつつあったダーウィン(1809-1882)の進化論「個体発生は系統発生を繰り返す」という「生物発生の根本原理」に通じると述べ、第一の根本的な動きは、その内部に、種子を含んでいなければならない。
その種子のなかから他のすべての動きが生成し、それぞれの動きが同様にして、互いに他の動きを産み出していく、その結果、表現、思考、観念が、ますます高度にまた偉大になりつつ、果てしなく連鎖していくのである。(山口、Rudolf Lammel)