(この紙、誰も取らなかったんだ)
よし子は紙をそっと外した。こんな山奥の、こんな条件の仕事、普通は選ばない。でも自分には、普通じゃない事情がある。
その夜、よし子は意を決して美咲に切り出した。
「実はね、お母さんのパート先が閉店することになったの」
美咲の箸が止まった。
「……いつから知ってたの」
「先週。ごめんね、言えなくて」
「やっぱりそうだったんだ。最近お母さん、ずっと元気なかったから」
美咲は見抜いていたのだ。よし子は求人票をテーブルに広げた。
「それでね、お母さん、この旅館で働きたいと思っているの」
美咲は黙って求人票を読んだ。住み込み。隣県の山間部。
「お母さんがいなくなるってこと?」
「すぐ隣の県よ。月に1度は必ず帰るし、毎日LINEもする。美咲は来年の3月まで高校があるから、この団地にそのまま住んで——」
「1人で?」
美咲の声が少し震えた。よし子の胸が締めつけられた。
「美咲が嫌なら、やめる。別の仕事を探すから」
沈黙が落ちた。美咲はしばらく求人票を見つめていた。月給の数字を指でなぞっている。この子は分かっているのだ。今の状況で、この条件の仕事は他にないと。
「……お父さんなら、何て言うかな」
美咲がぽつりと言った。