嘆願書を出したその二日後、平蔵はようやく家に戻された。目付方としては少しでも多く田沼派の失策をつかみたかったようだが、一方で嘆願書という民意にも配慮をせざるを得なかったのだろう。戻された直後の平蔵はかなり体力の消耗があったようで、さらに二日待ってようやくいつもの三人で会うことができた。
「自分の留守中二人には本当に世話になった。目付方には少々手荒な扱いを受けたが、ようやく体力も回復しきょうから手習も再開した」
平蔵は快活にそう言った。取り調べ中、白河侯派の田沼派に対する怨念(おんねん)にも似た執拗さを感じたという。組頭の土山宗次郎に止(とど)まらず勘定奉行も次々と更迭(こうてつ)し、幕閣までも大幅に入れ替えたそうだ。今回の打ちこわしは、白河侯派に田沼派一掃の格好の口実を与えたようだった。
「あまり大きな声では言えないが、打ちこわしに関わった者たちを調べていると真相はかなり違っているようだ。
田沼侯が老中を罷免されたのはすでに前年のことだし、今回の赤坂の打ちこわしはうち続く火災、地震、洪水、飢饉(ききん)による民の疲弊(ひへい)が原因になっている。白河侯は郡代(ぐんだい)伊奈(いな)忠尊(ただたか)に貧民救済策を命じたようだが、どこまで効果があがるものやら」
清十郎は、町方にいて打ちこわしに関わった農民たちと直(じか)に接しているので事情に詳しかった。すると平蔵は、
「それはともかく、清十郎には嘆願書のことをはじめ、妻も本当に世話になった。
妻は、娘を失って以来ちょっとしたことでも心の安定を失い動揺しやすくなっていた。目付に拘束されている間中そのことが一番の気がかりだった。傍にいた菊江によれば、おかげでさしたる混乱をきたすこともなくやって来られたという。又兵衛もそうだが、本当にありがたく思っている」
そう言って二人に向かって改めて深々と頭を下げた。それに対して清十郎は、
「自分は何も特別なことをしたわけではない。何より平蔵の教え子たちが自ら言い出して親たちと一緒に動いてくれたおかげだ。礼を言うなら子どもたちに言ってくれ」
と答えた。又兵衛も、
「同感だな。親たちもよく動いてくれた。それもこれも、子どもたちの平蔵への日頃からの敬愛の念があったればこそだろう」
そう言いつつ、子どもたちの平蔵への純な思いに心打たれたときのことを思い出していた。
その一方で、今回の清十郎の働きはむろん平蔵のためというのもあっただろうが、その底には自身の自死した妻女への特別な思いが働いていたためではないか、と又兵衛は見ていた。妻女の自死によって被(こうむ)ったであろう清十郎の心の痛手はいまだ消え去ってはいないのだ。
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