3 Equity(公平性)の反意語

Equity(公平性)の反意語は、Inequity(不公平性)だろうか。

「不公平性」とは、「とりあつかいなどにかたよりがあって、公平でないこと」(広辞苑)とされており、人なら誰もが反感を覚え納得できない思考だ。

人は、他人と差別されることが最も嫌悪を感じることであり、皆と公平に扱われることを当然と思っている。しかし、「公平」は「平等」とは違う。

それを、何かの物品の提供に例えれば、同じ質、同じ量などを、単純に均等にして分け与えることは「公平」ではない。それは「平等」に当たる。

聞いた話がある。政治家田中角栄氏は、子供たちの茶碗にご飯を盛るとき、皆に同じ量を盛ることはしなかった。年長者には体が大きくてエネルギーの消耗が多いのだからと多めの量を盛り、年少者には体が小さいのだからと少しの量を盛った。

結果、皆がお腹を満たせればいいと考えた。

また、甘いまんじゅうなどは、甘いモノにガマンのできない年少者には大きい方を与え、年長者には小さい方を与えて、年長者に自分はガマンしても弱者を守ろうとする慈(いつく)しみの心を教えたいと考えたようだ。

これが「公平」である。

ロータリーのストーリーの中にも、「公平」を伝えるいくつかのケースがある。

一つは、身長の違う少年たちが、塀の向こうでやっている野球を見ようとするストーリーだ。

その塀は少し高いので全員が見られるわけではない。そこで、まず皆に同じ高さの踏み台を与える。

それは皆に対して踏み台の高さとしては「平等」ではあるが、同じ高さの踏み台を与えても背の小さい少年はまだ塀の向こうが見えない。

そこで踏み台の高さを高低いろいろ用意して、背の小さい少年には高い踏み台を、背の高い少年には低い踏み台を与えることが、塀の向こうの野球を見るという本来の目的を達成することができる。

これが「公平」である。

名前は忘れたが、著名な哲学者が「平等」について言ったことは、「人間にとって『平等』があるとすれば、それは誰もが必ず死ぬということだけだ」だった。

この言葉は、何故か強烈に覚えている。