1985年、穏やかな経済成長期にあった当時の日本。

家では両親と妹との4人暮らし。テレビからは80年代のギラギラとした流行歌が流れ、妹と並んで歌謡曲を熱唱するのが日課だった。

学校では、おしゃべりが多く、先生に叱られることもしばしば。それでも、人見知りしない性格のせいか、気がつけば自然とクラスのまとめ役を任されることが多かった。

短距離走は苦手だったが、長距離走は好きで、マラソン大会では意外にも好成績を収めていた。エリートで固められたスポーツ少年団には加わる勇気がなかったが、運動場の余白部分で、仲間と笑いながら自由に遊ぶ時間が何より楽しかった。

僕が育った町は、坂一つない平坦な地形の上に広がる、海に面した北陸の小さな漁師町だ。砂州の上に築かれたその町には、潮の香りとともに暮らしの音が絶えず漂っていた。

町の中心には駅があり、そこを起点にメインストリートがのびていた。

道沿いには、スーパー、商店、本屋、魚屋、電気屋、畳屋、釣具屋、プラモデル屋――今思えば、どれも生活に密着した店ばかりで、どこか人の手の温もりを感じさせる店構えだった。

通学路の途中にある緑に包まれた神社は、僕ら子どもたちの格好の遊び場だった。境内ではかくれんぼをし、石段では駆け下り競走をし、夏には神社主催のお祭りや花火大会も開かれ、蝉の声に包まれながら時間を忘れて遊んだ。

町には常に賑わいがあった。観光船が港から絶え間なく出入りし、多くの観光客が町を歩き、土産物を手に笑い合っていた。

漁港は県内でも有数の漁獲量を誇り、港には威勢のいい声が飛び交っていた。少々荒っぽい人間も少なくなかったが、それもまたこの町の気質だった。

 

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