妻は臨床経験がありパーキンソン病の末期がどのようなものであるか知っていたのでしょう。自分がパーキンソン病であることは、友人、知人はもちろんのこと誰にも言うなと、いつになく強い口調でした。

医学の進歩は日進月歩です。新しい有効な治療法があるのではないかとの思いで、パーキンソン病のシンポジウムや、有志の方が開催した脳に電極を埋め込む手術を受け、健常者と同じように活躍している方の経験談を聞いたりしましたが、いずれも完治することはできず、薬の服用は必要であり症状の緩和に効果があるという内容で、いささか期待外れの感を抱いたのを覚えています。

この物語の中には「今思えば」という場面がたくさんあります。この初期の時点でも。病名がはっきりする前のことですが、妻は看護学院時代の気の合うクラスメイト数人と定期的に高尾山紀行を行っていました。2年間で63回の紀行をし、〝高尾山健康登山の証〟という、1冊に21回の登山記録が記された冊子が3冊残っています。

ある時、高尾山で野点を楽しんだことがあり、「帰る時に立とうとしたらよろけて立てなかった」と帰ってきて話すのを聞いて、妻も私もいつもの腰痛のせいだとお互い納得していましたが、「今思えば」パーキンソン病からのシグナルだったのです。

また、これも罹患がはっきりする前のことですが、私が地方で仕事をして帰ってくる時には、いつも大きな荷物が一緒でした。家から最寄り駅までは1kmほどで荷物を持って帰るのは大変だからと、いつも最寄り駅に自転車で迎えに来てくれました。

往きは荷物がありませんから自転車に乗って来ていると思っていたのですが、ふらついて乗れないので押して来たと言っていました。「今思えば」これもパーキンソン病からのシグナルだったのです。

 

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