はじめに

再会

公立中学校の教員をちょうど四十年勤め上げ、定年退職して三年が経とうとしている。幸いにも地域の学習塾に請われて週に二日間だけ国語の授業をさせてもらうことになった。

この塾が少々変わっていて、塾名などの看板は一切掲げず、生徒募集の活動もまったく行わない。学年ごとに、十名程度の集団に懇切丁寧に教える体制だった。

それでも教室の席はほとんど満席で活気があり、教員時代には味わえない充実感を得ることができた。一応授業に用いるテキストは指定されたが、塾長からは「先生の好きなように教えてください」と言われ、さまざまな知識を盛り込みつつ、かなり自由な裁量で授業を展開することができた。

そんなある日、私の教える中学二年生のクラスで一人の男子が、授業の終了時に、私に声をかけてきた。

「先生、うちの母が先生のこと、知っているそうです」

この齢になると、こういった話は珍しいことではない。困るのは名前を言われてもいつの卒業生なのか、顔が思い浮かばないことである。

「母は、西中学校で先生に担任してもらったそうです、覚えていますか」

この質問が一番困る。ほとんどの場合、思い出せないことが多いが、幸いにもこの時だけは記憶の片隅にその名前が残っていた。

「覚えているよ、たしか合唱コンクールで伴奏を引き受けてもらったことがある」

「母が、先生に会いたいと言っていました」

「うれしいね、私も会いたいですよ」

こういう教え子ばかりではない。中には、もう二度と会いたくはないと思っている者も多いはずである。

この母親とは、後日、塾の教室で出会うことができた。私は彼女の成長を喜び、母親は、親子二代で私の授業を受けることに感激していたが、私の心中には少々別の感慨があった。

彼女を卒業させてから約三十年、時の流れの何と速いことか。そして、その分だけ私は確実に老いてしまったにちがいない。

「先生、うちの母が先生のこと、知っているそうです」

その言葉が、私の記憶の底から、もう一つ別の再会の場面を導き出した。