【前回の記事を読む】金メダルを手にした瞬間、思わずこぼれた『ああ、よかった』——舞台裏で支え続けた者の想いと、諦めなかった者だけが見た景色
尽力した一人の外交官 和田 潔
フェンシングの競技大会を運営するうえで、関わる人間は数えきれないほどにいる。
選手の招集や誘導などソフト面に携わる多くのスタッフや、実際に使用する武器やウェア、グローブをチェックするスタッフ、ピストの高さやライティングなど細部に至るまで会場設営を含めたハード面に携わるスタッフ。
照らされたピストの上で戦う選手と比べれば、決して陽の当たるポジションではないかもしれないが、ひとつとして欠ければ試合も大会も行うことすらできない。
そして試合の本番でそのすべてを取り仕切る最高機関となる技術委員会。DTと呼ばれるポジションは、組み合わせやピストの振り分け、担当審判の配置など、いわば大会全体を仕切る、総司令塔といった役回りを数名で行う。
そのDTを、日本人として五輪、東京大会で務めた人物がいる。
和田潔。名刺の肩書きには「外務省」と書かれている。今なお現役の外交官だ。
なぜ外交官がフェンシング? 多くの人が抱くであろう素朴な疑問。紐解けば、いくつもの偶然と巡り合わせが、意外にも思えるケミストリーを起こした。
フェンシングとの出会いをさかのぼると、最初は上智大へ入学したばかりの頃だった。新入生を迎えた春、さまざまなクラブやサークルが勧誘に励む中、若き和田にもフェンシング部員から声をかけられた。
ちょっと面白そうだな。興味は抱いたが、道具が必要だ。初期費用としてどれぐらいあればいいか、と尋ねると「最低でも10万円」との答えに及び腰になった。当時はまだ親の支援を受けている立場で、さらに「フェンシングをやりたいからお金が欲しい」とは言えない。
その時は交わることなく、フェンシングには触れないまま、上智大外国語学部フランス語学科を卒業。外務省に入省し、フランス、セネガル、スイス、米国など世界各国で職務に励んだ。
社会人になってから趣味でウィンドサーフィンやゴルフをすることはあったが、大学時代にすれ違ったフェンシングと、本格的に出会い、つながったのは2015年。在ストラスブール日本国総領事館に首席領事として勤務している際、管轄の地域機関・欧州評議会職員である1人の男性に出会った。
彼の名は、ジャン=ミッシェル・メイエール。地元のフェンシングクラブ「ストラスブール・エスクリーム」のコーチを兼任。外交団らが出席するパーティーで一緒になり、世間話の流れから誘いを受けた。