「おう、確かにそうよの。光秀よ、帥(そち)にとっては憎き宿敵だな。きばって働け。蹴散らせ、玉砕させよ」
信長は光秀の朝廷へ伺候した経験と文武両道を兼ね備えた能力に期待し檄を飛ばした。
藤吉郎は最近、後発の光秀の快活な快進撃に脅威を感じ、信長様の自分への信頼が揺らぐのではないかと、更に懸念を強く感じ始めていた。
有言実行の織田信長は、軍議のとおり差配し稲葉山城の攻略に成功した。
稲葉山城を落とした後、下井口の名を岐阜と命名した。そして居城を岐阜城と名付けた。
岐阜城は、自然な砦の上に築城された天然要塞の様相を呈している。標高328・8m、金華山頂に強固な城が鎮座した。
信長は、軍議の席で諸侯に向けて下知した。
「みなのもの、岐阜の城には、儂の居城以外にお前たちの館を城内の敷地に修築せよ、よいな。
息子信忠の詰(つめ)の城と館も改修するのだ。儂の意向を天下に知らしめるため、瓦は金箔の黄金瓦であしらえよ。飾りは、そうだな、牡丹が良いな。方形(四角形)での菊紋と牡丹が良いぞ。
新しい城下は、長良川の水と山の恵みを活かすぞ。物流と人、食と文化を育む街にする。新しき経済圏を岐阜に作るのだ。
川の鮎を鵜匠に獲らせ、客人の前で調理させる。山菜、肴、茶器でもてなすのだ。伴天連(ばてれん)や商人を仰山招き、迎賓館をこしらえ、そこで盛大にもてなすぞ。よいな、藤吉郎」
「はっ! 御意。全て手抜かりなく準備いたします」
こうして信長、家臣一同は、当初の予定どおり岐阜城に居を移していた。
岐阜城の敷地内に館を移した藤吉郎と家族はとても満足げだった。仕事を終え帰宅した藤吉郎は寧々や母様に言った。
「小牧の城も良かったが、岐阜の城も眺めが良い、長良川や山々が四季折々にとても美しいのう。寧々や母様は、脂の乗った香り豊かな長良川の鮎を堪能してくだされ。美味しいぞ、たくさん食べてくだされよ。山の幸も美味しいぞ」
「ありがたいことですわ。藤吉郎様と信長様に感謝せねばいけませんね」
寧々と母様は大変満足げだった。
岐阜城下は、山の幸、川の幸、焼き物が盛んになり、信長の思惑どおり豊かな土地、食文化で戦のない町を創出することが出来た。城下には約1万もの人が集い、賑わう城下町となる。
信長はまさに天が与えた天賦の才を発揮した天才だった。
小牧城もそうだが、岐阜城においても、過去に前例が少なかった通行税を廃止した。当然、無税で商売は活気づく。
信長の領土内、尾張・美濃には、一気に人が全国から集まり、壮大な活気を呈した。楽市楽座(城下町を繁栄させるため、特権廃止や市場税を廃止)により商人が自由に活動できる新しい商業経済圏ができあがったのだ。
浅井の裏切りと敗走 藤吉郎と光秀
◆永禄12年(1569年)〜元亀元年(1570年)頃
軍議が開催されるなか、藤吉郎はますます光秀を意識するようになっていた。
最初に重鎮の柴田が口火をきり檄を飛ばした。
次回更新は3月14日(土)、19時の予定です。
【前回の記事を読む】美濃攻略の頃から、光秀が脅威に感じる。自分より後に士官したのに、信長様に丁重に扱われている――実際奴は儂を差し置き…